ある女の子の軌跡と私
私の会社の通勤経路に小学校がある。
ある女の子が毎日、登下校していた。
かなりの坂道を彼女は毎日、通っていた。
車椅子で、自ら手で動かしながら、6年間。
毎日とは言えないが、私は彼女の登下校を見ていた。
小学1年から6年生になるまで、できる限り、見守っていた。
私の会社の通勤経路に100メートル程、細い道があり、
工事の関係で猛スピードで走る車がある。
近所の方は、もちろん、彼女のことを知っており、
彼女が細い道を通り過ぎるまで徐行運転する。
宅配便の方々も同じだ。
ただ、仕方が無いことだが上述したように、
工事などで初めて通る車はスピードを緩めない。
工事の車はちょうど登校時間に現場に向けて走る。
私や近所の方々は、工事の車の方にスピードを緩めるように、
何度も依頼していた。
時には、彼女は、同級生と共に下校していたが、
同級生が車椅子の彼女を助けることは無く、
談笑しながら、下校していた。
なぜ、彼女が車椅子の生活となったかは知らない。
会話もしたことも無い。
そして、同級生が車椅子を押してあげないことも知らない。
そんな彼女が今年の春に卒業した。
私の自宅前は我が子供達が通った、通っている小学校の登下校通路。
当番制で、登校時に立ち番をする。
過日、私は8時から30分間、立ち番をしていた。
その時、なぜか彼女が、彼女のお母様と共に私の眼前を通り過ぎた。
一瞬のことだが、なぜ彼女が通り過ぎたのか分からなかった。
その後、ゆっくりと考えてみれば、私の子供達が通っている中学校はエレベーターがあり、車椅子の彼女にとっては、近くの中学では無く、私の子供達が通っている中学校が、唯一の選択肢だと、気付いた。
恐らく、最寄駅までお母様と共に地下鉄に乗り、そして、お母様と共に中学に登校していたのだろう。
数日前、偶然にも一人で車椅子で登校している彼女に出会った。
「おはようございます」と私は何気なく、彼女に言った。
「何年間も、見守っていただいてありがとうございます」と彼女は下を向きながら一言。
私はその一言で、涙が流れ続けた。
「気を付けてね」と発するだけで精一杯だった。
小学校時代に、急な坂道を一人で車椅子で登っていた彼女。
数週間は、お母様と共に、中学に通っていた。
しかし、お母様と共に通うことも、中学入学して、2ヶ月程度で、
一人で登校すると彼女は自分で決めたのだろう。
きっと、彼女は自ら道を拓き、自ら、これからの人生を歩んでいくのだろう。
既に、小学校時代から、彼女は大空に羽ばたいていたと私は思う。
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