ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

白状します。

 

「原因」と「結果」の法則

「原因」と「結果」の法則

 

私は一応、米国でMBAを取得した。

卒業後、祖父が創立したホテルチェーン法華倶楽部に入社。バイトを装い何ヵ所かのホテルに出向し修業。出向先のホテルの同僚達はすべて高卒。下働きと肉体労働の日々で、表面的には馴染んでいたが、何名かは私が発する臭いを感じ取り、露骨に嫌われていた。

当時、心の奥底に「俺はMBAだ、お前らとは違うんだぞ」という気持ちが常にあった。もちろん言葉には発していないが、やはり身体が発していたのかと今となっては思う。

そして、修業後、青森県弘前市法華倶楽部弘前店へ出向命令。初めて青森空港からバスに乗り、弘前市内へ向かう際、窓から見える雪を見て、「なぜ、私がこんな田舎で働かねばならないのか」と正直に思った。

 創業家の孫が弘前店に配属ということで、逆に社員各位は表面上、通常通り接してくれたが、私としては腫れ物に触るような感を常に覚えた。そして、弘前店滞在から数年後、法華倶楽部会社更生法で倒産した。

 当時、常務取締役であった父に、「なんで、こんな人生にならな、あかんの(なぜ、私はこんな人生なのか)!」と声を上げた。父は「すまない」とだけ言った。

今思えば、私は当時、本当に子供だった。今も子供に近いが。ただ、この年齢になって、1902年に書されナイチンゲールなども参考にした本書が示唆することが身に染みてわかるようになった。

 以下、本書から。

「人は誰も、内側で考えているとおりの人間である」
「心の中の想いが私たちを創っている」
「私たちは、自分の思いによって創り上げられている」
「人間は想いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である」

出向先のホテル、弘前店での待遇、そして倒産も環境の変化に違いない。でも、その環境をどう捉えるかは他者ではなく自らが創り上げたもの。そして、第三者から受け取った印象、第三者が感じた印象も、実はすべて自分自身が創り上げたもの。そう考えると若き頃の気持ちも結局、自分自身の気持ちにしか過ぎない。

数年前までは、倒産しなければ人生は変わっていたなと考えていたが、今は、倒産して良かったなと考えている。

 今は少しだけだが、自分の想いという「原因」が、すべての「結果」を形作るということが分かったから。