ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

負のDNA

DNAと言っても、医学的なDNAではなく、経営的なDNAとして今回はエントリーしたいと思います。

(その前に、DNA分野の専門家である、めたかさん、貴サイトでの心遣いありがとうございます。ちょっとそちらではコメントするとご迷惑になる可能性があるかもしれませんので、私のサイトにて御礼申し上げます。)

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さて、昨今、NHK会長、西武関係、そしてプロ野球コミッショナー、など、いわゆるトップの姿勢が問われています。私も小さいながら経営者トップとして思うこと。

それが「負のDNA」という観点です。

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まず、前提として

「経営における遺伝子の継承」という

私の考えを説明したいと思います。

京都には世界的に著名な企業が多く存在します。そして、他の地域と比較して「同族経営」が多いとも言えます。

現在では、京都大手企業の創業者2、3代目が社長か会長職にある状況です。

そして、どの京都大手企業もすべてとは言いませんが、先代の経営風土を継承され、2代目・3代目の経営トップとして成功されています。

この理由の一つが「経営におけるDNAをうまく継承された」のではないかと私は考えます。

そして、非常に重要なこと、それは、

2代目、3代目に継承されたDNAが企業、あるいは社員すべてに引き継がれた

ということにあります。これは極めて言葉では語り尽くせない何らかのスキームがあったのではと思います。

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そして、「負のDNA」。

上述した、今、世間で話題になっている「経営においての遺伝子をうまく継承できなかった」ことが理由の一つではないでしょうか。

イエスマンしか集まらなかった、異論を言える状況ではなかったと、いろいろと他にも理由はあるでしょう。

ただ、マイナスのDNAだけ企業全体、社員の方々に受け継がれたといっても過言ではないと思います。

そして、上述した話題の方々だけでなく、他の多くの企業や特殊法人にもこの現象が今も少なからず生じていると言えるでしょう。

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NHK会長、西武関係、どちらも営利が絡みます。(NHKは特殊ですが、今は論点としません。)

恐らく、永年に及ぶ、「負のDNA」が蔓延し、来るべきときに「噴火」したのかもしれません。

よって、トップだけが問題なのではなく、体質そのものにも視点を拡大する必要があると思います。

もちろんトップが最大の問題点ではありますが、体質を看過してきた風土の渦中にいた方々も考えるべき点は多々あると思います。

さらに問題視していること。

それは、同様に蓄積された「負のDNA」が、

今後、企業や特殊法人だけでなく社会全体に様々な形で

露呈し、破綻していくのではと

私は危惧しています。

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さて、少し立場が違うのがプロ野球コミッショナーです。この立場の方には「営利」が直接、絡みません(不勉強なので、そうでは無いというご指摘があれば甘受致しますので)。

営利が絡まない、緊張感がない、そして私が思う最大の問題点は

営利が直接的に絡まない世界に永年、おられた方、

経営で夜も寝られない経験をされたことの無い方を

コミッショナーという立場に置く

という野球界全体の体質に一つの問題があると私は思っています。

(過去のコミッショナーは、違うかもしれませんが)

何と言っても「営利追求」が昨年のプロ野球問題の端緒の一つと私は思うからです。

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世間では、「当て職」という言葉があります。一種の名誉職とも言えましょう。とりあえず、委員会なり団体に著名な方をトップに置き、その場を形作る。著名な方ほど、兼務されているものが多く、他者が想像している以上には機能しません。

しかし、私の経験上、本当に有能で、著名な方は、多数の団体の有名職に任命されておられても、真剣に任務を遂行されています。

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よって、今回のエントリーは、プロ野球コミッショナー問題については、相反する論理があります。

1)夜も寝られない程、経営判断に悩まれた経験を持った方をコミッショナーにすべき。

2)営利という世界をご存じなくても、本当に有能で、かつ著名な方ならコミッショナーに足りうる。

私には、どちらが正解かは分かりません。

私の経験だけの論理なので。

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最後になりますが、NHKの会長を「エビジョンイル」という呼称を付けるのは何となく私は違和感を覚えます。

他にもブログ界では、様々な事象に、特有の呼称が散見していますが、「そこまで言わなくても」といった感があります。

エビジョンイル」と呼称することに問題があるというよりも、「そこまで言わなくても」ということが多すぎます。