共生から共死へ
世間で良く言われている「自然との共生」。簡単に言えば、「生態系と人間が共に生きていくことが可能な社会を構築していこう」といった感じでしょうか。
大枠では、「生態系に人間は含まれている」わけで、この発想からして私としてはおかしいとは感じています。
さて、過去に「地球温暖化」等について、私は様々に叫んできました。例えば、過去の私のエントリーにも多種多様な形で、書いてきました。
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そして、今日、お話したいこと。
少し「地球温暖化」からは、話はそれますが、今後、起こるであろう「気候変動」は、地球の長い歴史でも、「氷河期」など、生態系は今までにも何回か経験してきました。
そして、過去の様々な「気候変動」に生態系は、人類を含め、乗り越えてきました。だからこそ、今も我々は生存しているのです。
このような中、今後、生じるであろう「気候変動」に対し、生態系が乗り越えられない壁があるのではないかと私は考えています。
気候変動を乗り切るために、様々な生き物は、「移動」という手段を使ってきました。寒くなれば暖かいところへ動く、また、生き物によっては、その反対もあったかと思います。
昔は、生き物たちは「自由に移動ができた」わけです。
しかし、今は、「自由に移動できる可能性が極めて低い」状態となってしまいました。
現在は、
「生き物たちが生息している場所から、少し移動するだけで、壁にぶちあたる」
このような状況になってしまっているのです。
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我々の身近にある自然を想像してみてください。
豊かな自然に囲まれた公園や山々。そこには多種多様な生命が存在しています。
もし、今後、大きな気候変動が生じたとき、彼らは移動を始めます。しかし、数キロ先、あるいは数百メートル先には、人間が作り上げた大都市という彼らには住むことができない場所が既に存在しているのです。
そして、これからも彼ら、生き物たちの居場所は、あるいは移動場所は確実に減っていきます。
「地球温暖化」の対策として専門家や国家が、様々に考え、現実に施策構築や具体的な行動をとられています。
しかし、忘れてはいけないこと。それは、
対策の中に、生き物たちの居場所まで考えることが必要。
ということではないかと私は思います。
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もう、「自然との共生」を叫ぶ時代は終わっています。
換言すれば、極めて的外れであり、論外な考えとも言えます。
経済発展のために、今まで、諸外国では、十年前までは、自然であったところが「環境破壊」という言葉をあえて使いませんが、人間の手によって、少なくとも「生き物たちの居場所」を奪っています。
共生するのではなく、「共死」する覚悟、この意味までを含め、これからの人間と自然とのあり方を考える時代に来ているのではないかと私は思っています。
「共死」という言葉は、どこかの新聞で、違った意味で使われていました。言葉は、私にとっては、意味をなしません。
本当に難しい問題ではありますが、
共存するためには、人間も「失うもの、あるいはこれ以上やらないこと」
これらを考えて議論し、実行しなければ、最後には、人類も禍根を残す時が来るかもしれません。
共死を避けるために。
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