ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

食べ物を粗末に扱う伝説はいらないと私は思う

 テレビ朝日の「いきなり!黄金伝説。」という番組をご存知の方は多いだろう。私もそして私の家族も好きな番組の一つである。多くの内容が盛り込まれた番組だが、私は「全メニューを食べ尽くす」という企画だけは好きになれない。いや、嫌悪感を覚えるといっても良いだろう。 極上の肉が完食という言葉で咀嚼されるだけ  週末に再放送していた「黄金伝説」を見た。超人気焼肉店の全メニューを食べ尽くすという企画である。3名の芸人が挑戦していたが、辛いものが続き、「5品目で無理」な状態になる一人がいた。その後も3人は食べ続ける。一品それぞれ人によって好みはあるかもしれないが、店としては最高の味を提供していると自負しているはず。その「自負・誇り」を3人は無残にも壊し続ける。  誰でも、どんなに美味しいものでも、食べられる量には限度がある。その限度に近づくとその人間の一面が露呈する。途中で食べ方が下品になり、肩肘を付きながら食べる姿や、あきらかに無理に飲み込んでいるだけの場面が番組後半になると散見される。そして一人の芸人が一言。「もう飽きた、面倒くさい」とつぶやいた。  もし私が焼肉店のスタッフであったなら、「金は要らないから、もう帰ってくれ」と言うだろう。そして私もこの言葉を聞いてチャンネルを変えた。 「続きを読む前に、起業家ブログ:下記バナーを是非ともクリック下さい。 命を懸けてマグロを獲る人に対して  何ヶ月か前にマグロを食べ尽くすという企画の番組も私は見た。2名の芸人がマグロ一匹を食べ尽くすという「伝説」を残すというもの。誰しもマグロ料理が続けば、「飽きてしまう」だろう。しかし、延々と「飽きながら、伝説をつくるために食べ続ける2名」を番組は流し続ける。  「命を懸けてマグロを獲る人、マグロを獲ることに誇りを持っている人が存在している」という現実と、「伝説・完食という非現実的なことを番組として流す」という現実。どちらの現実に重みがあるかは言うまでもない。  そして、焼肉店でもマグロでもなぜ芸人が食べるのか。芸人というものは、「自らの芸」で世間と対峙していくことが本筋ではないのだろうか。 もうこんな伝説は必要ない  「飽きながらも食べ続ける」という雰囲気で食べ尽くすことは、「食を提供している側」にとっては迷惑だけであり他に何も残らない。しかし、この番組には「食べ物を粗末にしている」という僅かながらのためらいもまったく感じられない。  数年前、「大食い選手権」などといった内容の番組があり、やはり「食べ物を粗末にしている」という風評から、同様の番組はその後、企画されにくくなったと私は記憶している。  私は、「食べ尽くすという伝説」も「大食い選手権」と同様に、食べ物を粗末にしていると思う。「食べ物を粗末にする」ということは何も「食べ残しや食べ散らし」といったものだけではない。それよりも「食べ物に感謝する」ことが「食べ物を粗末にしない」ことであり、基本であると私は考える。  飽きながらも食べ続けることによって途中から変化していく食べ方や何気ない会話。これは、食べ物を粗末にしている以上に、「食べ物」を単なる「モノ」として扱っている人間がやることと同じだと私は考える。  今、「食育」なる言葉がある。しかし、教育的な観点で議論する余地が無いほど、この「伝説」は意味がない。食を提供している人々の気持ちをすっかり忘れ、「食」を「モノ」としてしか扱わない「伝説」。そんな伝説は誰にとっても必要ではない。 「私も参加している起業家ブログをクリック下さい