ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

自立型社会から自律型社会へ

自立と自律とは

久しぶりの更新です。多忙でした。

(「かっぱえびせん」、無事終了しました。)

さて、昨晩、会合で興味深い話を聞きました。「自立」と「自律」、どちらが企業社員として必要な資質かということでした。少し辞書で調べてみると、

「自立」

他の助けや支配なく、自分一人の力で物事を行うこと。ひとりだち。独立。

どちらかというと完全に個人として独立しているイメージです。良く使われる「自立心」という言葉、あるいは良く行政が使う「若者の自立支援における様々な施策」といった言葉から想像できるように、人に頼らず、独り立ちし、自力でやっていこうとする心構えなどが「自立」になります。

「自律」

他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。

自立の段階から、ステップアップした形態を私はイメージします。「自分で考え、自分で行動し、物事を動かす」といった感じでしょうか。良く「自らを律する」という表現もします。

あまり深く考えていなかった言葉ですが「自立」と「自律」には、大きな隔たりがあります。

自立と自律の違い

「自立している人間」・「自律している人間」との大きな違い、それは、「自律している人間は他人との意思疎通をも図ることができる能力を兼ね備えている」ということではないでしょうか。このように考えると「自立」だけではまだ足りなく、「自律」の領域にまで足を踏み入れることが必要になります。なぜなら、「組織としての価値観の共有」が自律している人間には可能となるからです。

他人・他者との価値観の共有・共生ができないと、結局、コミュニケーションを取ることができない、容認されない人間になってしいます。企業人は、企業組織の価値観を共有し、さらにその価値観を基本に自分で考え、行動していくことが大切だからです。まず最初に、価値観を共有できるスキル・能力があり、その上で、自分なりにアクションを起こしていく、これらが組織というフレームでは必要でしょう。

換言すれば、

一人で何でも実行できる能力ももちろん重要ですが、

実行する中味が「あるべき姿・路線」から

外れているかどうかを見極めることができる能力、

このスキルを保持している方が「自律型人間」と言えます。

自立型社会から自律型社会へ

このように考えると、「若者への自立支援」ではなく、「若者の自律支援」の方が私としては妥当であるのではないかと思います。もちろん自立できてから、次に自律があるという議論もあるでしょう。しかし、重要なことは「自立支援」が最終的に「自律支援」までも視野に入れているかによって、結果は大きく異なるという点です。

さて、今まで企業人は「自律型人間」であるべきだと私は述べてきました。しかし、これを社会という大きな枠組みで考えると、また新しい見方が可能になるでしょう。様々な凶悪犯罪、社会問題、企業問題などを鑑みると、自立ではなく、自律が必要であるということを。

すわなち、

自己の思うがままに、行動するのではなく、

自己を律して、行動する、

自らの行動が社会の規範に沿っているか、

社会が共有できる価値観なのかを

一度、立ち止まって考える姿勢、

これらが、社会全体にも必要であり、

最後にはこの姿勢が社会も認める

ということです。

社会の規範・ルールそのものが明確になっていない日本ですが、必ず曖昧ではありながらも潜在的に真っ直ぐな道は存在していると思います。この道をもちろん顕在化・明確化する努力も社会全体にとって必要でしょう。しかし、自律型人間には、その道が見えるのかもしれません。少なくとも「社会が共有できる・受け入れられる価値観」から、自らの行動を照らし合わせ、正しいかどうか判断するでしょう。

このような視点で、今、生じている様々な事象を捉えると、「一瞬、踏みとどまり、自分がしてきたこと、しようとすることが社会のルールに沿っているのかを見極める能力を持った方」はあまりいないのかもしれません。だからこそ、私は「自立型社会から自律型社会」へ、視野を広げる必要があると思うわけです。

今まで述べてきたような「自立」と「自律」というキーワード・意味を考慮し、今の社会問題を見てみると私は新たな角度で物事を見ることが可能となり、かつ視点が変わってくると思います。

良く「歴史は物語る」といいます。しかし、「あそこで、どうしてあんなことをやってしまったのだろう」という後悔を避けるためにも、感情に任せず、一歩踏みとどまり、組織が容認する行動かどうかを考える姿勢を持つ「自律型人間」は、最終的には社会もその行動を容認するでしょう。