ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

大切な友人のお父様が亡くなられたことに思う

キャンドル

 数日前のことだった。

 会社付近に救急車が十数分間、停まっていた。私は外に出て、数十メートル先の救急車を見た。私の小学生時代の同級生の家の前に救急車は停まっていた。

 その日の夕方、仕事の打ち合わせの途中に、友人が経営している薬局に立ち寄った。友人も小学生時代の同級生だ。「もしかしたら、残念な結果になるかもしれない。その時は連絡するから、他の友人にも連絡して欲しい」と私は彼に告げた。

 翌日、町内の掲示板にお知らせが張ってあった。やはり、残念な結果の知らせだった。それを見て、私は薬局の友人に事実を伝えた。その時点で彼は他の友人から知らせを受けており、数名の友人に既に伝え終えていた。彼もそして他の小学生時代の友人達も考えること、行動することは一緒だった。

 過去の話をしよう。

 朝の通勤時、亡くなられた友人のお父様とはほぼ毎日、お会いしていた。友人の子供、いわゆるお孫さんを毎日、幼稚園のバスが来るところまで一緒に送り迎えされていた。駐車場から会社までの途中で、毎日のように会釈をし、会社へ到着するという日々だった。

 もちろん、年末もお会いし、会釈をした。お元気な様子とは言えないが、決して大病を患っておられるとは見えなかった。

 私の友人の話をしよう。

 彼は、小学生時代の私にとって一番の友人だ。毎日のように遊んだ。川でメダカを獲り、山で隠れ家のような基地をつくり、彼の家で様々な遊びをした。彼は20代前半に、大病を患った。命を失いかけない程の大病だった。しかし、彼の努力の結果、彼は見事に復活した。

 数年前に私が京都に戻ってから、年に数度は小学校時代の同級生達と会合を開いている。楽しく飲み、楽しく話す。そして、なぜか話題はいつも小学校時代の話となる。

 話を戻そう。

 先に書いたように毎日、お会いしていた亡くなられた友人のお父様。今年に入って一度もお会いしたことは無かったが、「亡くなられた」という事実を聞いた時、俄かには信じられなかった。お孫さんと手をつなぎ、伏目がちに歩いておられた姿しか頭に思い浮かばなかった。

 歩いておられた姿を想い出した時、涙があふれた。悲しさよりも悔しさが強かった。こんなことになるまで、何もできなかった、何も感じ取られなかった自分が情けなかった。

 そして、ようやく「亡くなられた」という事実を私の心が受け止めた後、友人のことが頭に浮かんだ。小学生時代の楽しい日々が走馬灯のように頭を駆け巡った。そして今、友人はどんな気持ちなのだろうかと考えたが、何も答えは浮かばなかった。

 葬儀に参列した。

 前日から降っていた雨は、葬儀当日も僅かながら降っていた。

 小学生時代の同級生も全員、来ていた。

 焼香の際、友人が目の前に立っていた。彼の顔を見た瞬間に、また涙があふれた。彼の肩をたたき、一言、声をかけたかった。本当に肩をたたき、声をかけたかった。

 しかし、私は友人と数秒間、目をあわせ、黙礼し、その場を終えた。来ていた小学生時代の同級生の一人も涙を隠そうともしなかった。

 そして、出棺の際、大粒の雨が降り始めた。別れを知らせる雨のようだった。

 すべてを終え、私は一人、近くの駅へ向かった。電車が来るまでの数分間、また、いろいろと考えていた。

 私や葬儀に参列した私の同級生達にとっては、今日の葬儀で終わりなのかもしれない。しかし、友人にとっては、もしかすれば、今日こそが始まりなのかもしれない、と考えていた。