ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

佐世保銃乱射事件:犯行動機を詮索することがそんなに必要か?

佐世保銃乱射事件  過日、長崎県佐世保市で発生した銃乱射事件。発生当初、特に翌朝になって容疑者が自殺と言う形で発見される前までは、様々な犯人像についてメディアなどを通じ、いわゆる識者・コメンテーターといった各位がいろいろと話していた。    その後、警察の捜査が進むと共に、警察だけでなく、メディア独自の取材などで、様々な角度から犯行の動機などが報じられている。  私は、犯行の動機を報じることに反対はしない。ただ、今の日本は残念ながら、興味本位の風潮に走りがちではないかと考える。興味本位の詮索だけは許せないともいえる。  例えば「J-CASTニュース : 佐世保銃乱射事件 「ストーカー犯罪」なのか」の一部を引用する。あえて興味本位志向のメディアの一つと私は考えているJ-CASTニュースでの引用だ。
 このように、容疑者本人の口から犯行動機が語られることはなくなってしまったが、事件から3~4日が経過した今になって、関係者の口から、その動機を示唆する容疑者の行動が明らかにされつつある。  早い段階で、これに言及したのが「夕刊フジ」で、07年12月17日、「被害女性に失恋し暴走?」という見出しで、馬込容疑者が、10月頃から倉本さんが勤務していたスポーツクラブに頻繁に通うようになったことを指摘。その上で、近隣住民の声として  「(馬込容疑者は)それまではボサボサの長髪で目つきも悪く、いつもムスッとしとったのに、10月ごろから顔色が良うなって、いつもニコニコ髪もキレイにセットして、こざっぱりとして格好で、毎日のようにピカピカの新車で(スポーツクラブへ)出かけていきよった」  さらに、別の地元有力者の声として  「あんなに豹変したのやから、やっぱり好きな女ができたとしか思えんかったね」  との声を紹介し、倉本さんへの一方的な感情が事件の背景にあるのではないかとの見方を示した。
 J-CASTニュースのこの記事によると、表現さえ違うが同様の見方で報じている他の大手新聞もあるとしている。  今回の銃乱射事件では「銃の取扱や規制」についても議論がなされている。そしてこの議論は、今後、実効性があるかはともかく、何らかの形で変化を生み出すだろう。これらの点については、私は異論はなく、専門的知識も持ち得ない。  しかし、一つだけ言いたい。  犯行動機を様々な角度から類推し、様々なメディア・媒体で報じ続けることに意味があるのだろうか。今回、犠牲者になった水泳インストラクターの女性はまだ26歳だ。これから様々な人生を歩む可能性があったはずだ。しかし、数発の銃弾が瞬時に、その人生を消し去ってしまった。  もし、私の息子や娘が同じような事件に巻き込まれ、考えたくも無いが残念な結果を迎えたとしよう。  親である私は、恐らく、一定期間は見知らぬ外部とのコンタクトを一切、遮断するだろう。なぜなら、ノイズにしか思えないからだ。  メディアが、近所の方々や周辺を取材し、被害者家族やその関係者の方々が、まだまだ心が落ち着かない不安定な数週間の間、犯行動機の「詮索」が続く。他に事件が無ければ、さらに詮索は続き、そのことが全国に報じられ、紙の媒体など、容易に消すことができないものが一生涯、残る。  本来、引用することさえ躊躇した先の引用記事。  引用記事が、もし被害者となってしまった自分の子供のことに関したことならば、私自身はどう思うだろうか。恐らく「怒り」のみが身体を駆け巡るだろう。あるいは「晒し者にされている」と思うだろう。この気持ちは犯人に対してではない。詮索しその結果を書いた相手に対するものだ。いくら「犯行動機」を明確にしてもらったとしても感謝の気持ちなど存在するはずもない。  犯人に対する怒りは、それこそ直接的であり、もっと強いものだ。殺意に近いものがあるかもしれない。  ただ「犯行動機」が明確になっても、失われた命は帰ってこない。誰しもが明確に分かっていることのはず。  今まで、残念な事件が様々な場所で、様々な形で発生してきた。  ただ、今までも行われてきた、興味本位の「犯行動機の詮索」は、もうやめるべきだと私は考える。不明瞭で日々変化する犯行動機を世間が知ったところで、誰にとって何の意味があるだろうか。それとも何か意味があると考え、今も昔も詮索し続けているのだろうか。  あるいは、報道を受ける側である一般庶民の心も麻痺しているのだろうか。  先に引用したことを書かれた、報じられた当事者・犠牲者に詮索する側が実際になったとしても、詮索する人間は、被害者や関係者の気持ちを理解できないのだろうか。  今回のエントリは、少し感情論が入っており、論理的な部分が皆無に近いが、理解いただける方も多数おられるのではと、私は確信している。  今一度、いや、一度で良いから考えて欲しい。「詮索する」という下品な行為を。「詮索する側」そして、その行為を報道という形で見る庶民の方々も考えていただきたい。  これ以上、そしてこれからも、事件でずたずたになった方々の心を亀裂させないために。 ※「ベンチャー社長ブログトップ10位へ ※「特選された多様な起業家ブログ集へ ※「新進気鋭アーティスト:鉄人Honey、下記画像をクリック」