ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

第二事務所(二代目)も閉鎖してしまった。

突然の知らせ  数週間前のある日、妻からメールが  「ごんべいさんのお店が取り壊されている」と。  このメールを見た瞬間、「あぁ、また第二事務所が無くなってしまった」という悲しい思いが身体中に走りました。  私は懇意にしていただいている方とは、いつも会社近くの駅に集合し、まずは私の自宅に車を置き、その後、歩いて数分の飲み屋で、仕事のことや世間のことなど、様々なことを話し合うというスタイルを続けています。この飲み屋を私は「第二事務所」と呼んでいるわけです。  この私のサイトをご覧いただいているブロガーではない一般の方とも一緒に飲んだことが何度もあります。  突然、「社長、今日の放課後のご予定は?」というメールが来た場合、この文面は、「ちょっと、相談したいことがあるので、いつもの場所で飲みませんか?」という意味合いを持つ、そんな場所を私は「第二事務所」として位置付けているわけです。もちろん、本当に重要な案件については、別の静かな場所で話を聞き、打ち合わせた後、「第二事務所」へ移動します。 先代の第二事務所  私は、2005年の11月に「第二事務所が閉鎖した。」というエントリを書きました。今となっては、先代の第二事務所と言えるでしょう。先代の第二事務所は、70歳近い、おばちゃんが やっておられた店。焼きそばからお好み焼きまで、どちらかというと鉄板で何かを焼いて、できたてを食べるといったスタイルの店でした。もちろん、10人も入れば満員となる小さな店。  先代の店にも、お世話になった様々な方と深夜まで語り合い、そして、人生の大先輩であるおばちゃんが我々の会話を聞いていない素振りを見せながらも、ちょっとした微妙な合間に、うまく会話に参加し、またカウンターに戻る、そんな家庭的な雰囲気を味わうことができる店でした。  もちろん、先代の第二事務所も、自宅から数分の場所にあり、二代目は先代の隣にありました。しかし、当時はオーナーが違い、味もサービスもまったく人間味を感じない店という印象がありました。換言すれば、先代の70歳近い、おばちゃんが突然、身体を壊され、店が閉鎖となり、新たな第二事務所を探していたところ、仕方が無いので、基本的には入りたくなかった隣の店に入ったところ、違ったオーナー、いわゆる二代目の第二事務所に偶然にも巡り合えたということです。 無愛想ですいません  新たなオーナーとなった第二事務所。そこには「無愛想ですいません」と書かれた張り紙と共に、焼き鳥を中心としたメニューがありました。焼き鳥は80円から。一番高い「鳥なべ」でも700円。ちなみに時間指定がありますが、女性だけで行くとすべて半額という大胆な価格設定もありました。  深夜まで食べても、飲み続けても、3000円程度。第一回目の印象は、「安い」というだけでした。何といっても「無愛想ですいません」と書かれている通り、ちょうど70歳という店の大将は、我々の会話にはまったく参加されません。  その後、何度か行くうちに、「大将」と呼ぶようになり、私の顔と名前を覚えてもらい、「大将」は永年、料理に関わられ、前のオーナーがこの店を閉店した際に、代わりに入り、焼き鳥屋をすることになったとのこと。  永年、修行されていたこともあって、材料さえあれば、何でも作ってもらえることも、通い続けた中でのふとした会話の中で知ることとなりました。焼き鳥屋なのに、「オムレツ」もできれば、リクエストしたメニューが材料さえあれば出てくる、そんな店でした。  そして写真のように、こちらも10人も入ることのできない小さな店。しかし、店内にはお孫さんが配線されたスピーカーや、お孫さんによる心のこもった多数のPOPがありました。  その後は、店に到着後、「すいません、適当にいつもの感じで」とお願いすれば、焼き鳥やサラダなど、我々の会話を邪魔しないタイミングで料理が出されるような顔なじみとなりました。 しかし、二代目の第二事務所は閉鎖してしまった。  突然の妻からのメールを見て、数日後。実際に第二事務所まで行きました。既に「宮崎産地鶏」といった新たな焼き鳥屋の看板が掲げられ、オープン準備されていました。  私にとっての「第二事務所」とは、料理の味を楽しむのでもなく、酒を楽しむものでもありません。懇意にしていただいている方々との会話が意味のある内容、時間となる空間であれば、どんな場所でも味でも、値段でも構いません。そういう意味では、先代、二代目の第二事務所の「おばちゃん」、そして「大将」が提供されていた「空間」は我々にとって最適な場所でした。  果たして、三代目の第二事務所となり得るのか。我々が求める「空間」がそこにあるのか。それは現時点ではわかりません。  それよりも、正月やお盆も休まず、文字通り、年中無休で昼から仕込みを始めていた「大将」。「どうして、正月もお盆も店を開いているのですか?」という問いに、「いつお客さんが来るかわからないから」と答えた「大将」。週末の昼間に店の前を通った際、かすかに漂う備長炭の香りは、今でも忘れることはできません。  やはり、お身体に無理があったのでしょうか。突然の閉店の理由はわかりません。  もちろん、どこかでお会いすることは、もう無いでしょう。私から探すことも無いでしょう。ただ、私の心の中には、生涯、「焼き鳥ごんべい」という素晴らしい空間と大将が黙々と焼き鳥を焼かれている姿だけは忘れることはありません。  大将、ありがとうございました。これからは無理をなされませんように。 注:  このエントリで使用した写真は、現時点でも残っている、恐らくお孫さんが立ち上げた携帯閲覧用の「焼き鳥ごんべい」紹介サイトから無断で拝借しております。私の大切な想い出として、結果として無断使用となりました。何卒、ご容赦いただきますようお願い申し上げます。 「私も参加している起業家ブログをクリック下さい