次男坊が半年近くメガネの片側のレンズを失くしていた件
私の家は小学生の通学路でちょうど交差点に位置します。
毎朝、登下校時には通学路のポイントとなる場所に地域の多くの方々が立ち番され、小学生たちを見守っていただいています。私も自宅から数m離れた駐車場に向かう際に、自宅前の立ち番の方々にご挨拶し、車で出勤というのが日課となっています。
そして、今日もいつもの如く、交差点を曲がりながら、さらに立ち番の方に車から挨拶すると、「あぁ、小島さんのお父さん? やっぱり似てはる(小島家の子供たちのお父さんを発見、やっぱり子供さんとお父さんは顔がそっくり)」という言葉を、いつもの如く聞きながら、会社へ向かいました。
5人の子供たちはみんな顔が似ていると多くの方々に言われます。そして、両親とも似ていると。私としては、5人それぞれ顔も違い、性格も違うのになと、いつも考えているのですが、一般的にはやはり「似ている」のでしょう。
さて、本題です。
昨日は、家庭訪問の日。22時過ぎ頃に帰宅した私は妻から、長男から三男まで特に問題が無かったとの話を聞き、一安心しました。しかし、食卓に数枚の紙を発見。それは、子供たちの視力検査の結果でした。三男は問題なし、長男は裸眼で少々、問題ありとのことで、近々に眼科に通わなければならないとのこと。
問題は、次男でした。彼は2年ほど前からメガネを必要とする視力であり、常にメガネをかけてはいませんが、授業中など必要な際はメガネをかけていると聞いていました。しかし、彼の視力検査を見ると、裸眼は残念ながらやはり問題あり、しかしメガネをかけた状態では、左目はAランク、しかし右目は記載無し。
どういうことかと、妻に聞くと、彼女も次男坊にどういうことかと最近、聞いたとのこと。次男坊いわく、数ヶ月前に昼休みの遊びから戻ってきた時に、なぜかいつのまにか片側のレンズが無くなっていたとのこと。
通常なら、レンズが無くなったその日のうちに、親に言うのが普通だと考えるのですが、次男坊は、特に理由も無く、今まで言わなかったようです。「言うことの必要性」すら彼は思いつかなかったのかもしれません。
数ヶ月間ものあいだ、片側のレンズ無しに、次男坊はメガネを使っていたのか、それともメガネそのものの存在を忘れていたのか、真相は闇の中につつまれていますが、いずれにせよ、「豪傑」の片鱗をうかがわせる感があります。
私は小学生の頃からメガネをかけています。よく視力は遺伝によるものと言われていますが、次男から始まり、長男もメガネが必要な状態になったことは確かです。特に長男は私と同様に読書好きで、最近はいつも一人で何がしかの本を読んでいます。
ただ、次男坊のような、「メガネのレンズの片側が無くなっても言うことの必要性を感じない」という何とも素晴らしい発想、思考は、私からは遺伝していないようです。
いずれにせよ、「論理的思考能力を、のんびり的思考能力と聞き間違えてしまう程のセンスをもった次男坊」の将来は、非常に様々な期待が持てると父親としては、考えています。
客観的には、5人の子供それぞれ顔は似ていても、やはり内面・性格はそれぞれ違うことに気付かされたと共に、彼ら彼女らの、良いところをうまく見つけ出し、精一杯、バックアップすることが親としてやるべきことの一つではと、再認識した一日でした。
では、私が小学3年生頃に夢中になって、布団の中で懐中電灯をつけながら寝たふりをしながら読みふけって、結局、メガネに頼る人生となった書籍を紹介し、このエントリを終えるとしましょう。
西遊記〈上〉
呉 承恩
正確には、この書籍でなくもっと原著に近い分厚いものでしたが「西遊記」は、私の記憶の強烈に残っている書籍の一つです。40歳近くになった今、もう一度、読み直したい名著だと私は考えています。メガネをかけながら、じっくりと読み、40歳なりの様々な発見があることを確信しています。
追記:
皆様、長男向けの子供用メガネ店でよいところをご存知でしょうか?
子供なのですぐに壊してしまいそうなので、安価な店か、私が利用しているそれなりのメガネ店にするか悩んでおります。
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