ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

四男坊の事故で思ったこと

事故  昨晩、18時頃、仕事中に私の携帯が鳴った。妻からだった。保育園に通っている四男坊が園庭で怪我をし、そのまま保育士の先生と共に病院へ行くとのこと。25日という企業にとっては節目の日ではあったが、急ぎの案件は、既に仕上げていたので、すぐに自宅に戻った。  自宅では4人の子供たちがのんびりとテレビを見ていた。四男坊が怪我をしたことを妻は知らせていなかったようだ。既にシチューや惣菜が夕食として用意されていた。私は仕事着のまま、シチューを温め、風呂を沸かした。子供たちを呼び、いつものような雰囲気の夕食となった。その後、子供たちは風呂に入り、私は洗濯機を回した。娘だけは一人で風呂に入ることができないため、身体を洗い服を着せた。この時点で子供たちは寝るだけとなった。私は夕食の洗い物を済ませ、乾いた服を取り込み、洗濯が終わった服を干した。  ようやく家事が一段落した20時半頃、携帯が鳴った。保育園からだった。精密検査が必要なので別の病院へ向かったとのこと。怪我した場所が生命に関わる、あるいは四男坊の将来に関わる部位だけに、精密検査は必要だろうと私も考えていた。怪我の様子を保育園の先生に聞いた。長男から三男までお世話になった先生だったが、怪我の現場を直接、見られたわけではなかったようで、あまり詳しいことはわからなかった。この時点ではまだ、これから起こり得るであろうことについて、私には何も判断できなかった。  21時になり、子供たちに寝るように言った。その際、長男から三男まで、一人ひとりに「四男坊とお母さんが今晩、帰ってこないこともあるから、翌朝は自分たちで学校へ行く準備をしなさい」ということを伝えた。娘だけは「お母さんは?」としきりに私に聞いてくる。「お母さん、帰ってくるよ」と私は何度も言った。ただ、「もうすぐ帰ってくるよ」という嘘は言えなかった。子供たちは部屋の電気を消し、寝た。私は自室に入った。1階の子供たちの部屋では娘が「お母さんは?」と泣き続けている。しかし、私は子供たちの部屋へ行くこともせず、自室でいろいろと考えていた。そして、ほどなく娘の泣き声は聞こえなくなった。 妻からの連絡  やっと21時過ぎに妻から私の携帯へ連絡が入った。今、精密検査が始まったとのこと。症状を聞いたが、まだ何も分からないと伝えられた。この時点でも何の判断も私にはできなかった。  仕事や家族に関係なく私は、リスクが生じる事象については「高・中・低」の3つのパターンで自分なりの対策を考えるという思考回路を持っている。仕事上の立場がこんな思考回路を生んでしまったのだろう。最悪の場合、中程度の場合、それほど問題がない場合、それぞれにどうすべきかを事前に考える。しかし、判断材料が少ない場合、まずは高リスクでの対策を考えるしかない。今どのような状況なのか私から妻に連絡することもできず、独りで自室の中で、最悪の場合に何をすべきかを考えていた。ただ、「四男坊が持って生まれた運命は、このようなものではない」、「私たち家族の将来も、このようなものではないはず」と思っていた。だから冷静だった。 二度目の妻からの連絡  22時頃、二度目の連絡があった。精密検査で異常は見つからなかったが、宿直ではない専門医に見てもらうため、もう少し時間がかかるとのことだった。私は少し安心した。最悪の事態を直面することは免れたと判断した。  そして数十分後、三度目の連絡があった。問題無しとの医者の判断があったということ、しかし様子を見るために一晩、入院するとのことだった。二度目の連絡で入院は予想していたことであり、驚くことではなかった。そして妻に「ありがとう、一晩、よろしくお願いします」と話し、その後は、何かあればメールで伝えてもらうように言い、電話を切った。その時、まだ仕事着のままであったことに私は気付き、普段着へ着替えた。 自室での一晩  23時頃、メールが来た。四男坊は「もう落ち着いた」といったことや「明日の他の子供たちの連絡事項」などが書かれていた。私からは、自宅にいる残った子供たちの様子を伝えた。この段階のメールのやりとりで初めて、保育園の園長先生と二人の担任の先生が最後まで、病院で待機されていたことを知った。22時過ぎまで、妻と共に先生方は、精密検査の結果を待ち、四男坊が緊急外来から小児病棟に入院するまで付き添われていたのだろう。検査結果が出るまで妻と同様に、無事を願っていただいていたと思う。  突然、容態が急変する可能性もあるため、私は夜中の1時過ぎまで起きていた。妻からは何度かその後もメールで連絡があった。しかし、急変した場合は携帯へ直接、電話してもらうよう伝えていたため、私は枕元に電源を入れたままの携帯を置き、慌しかった一晩を終えることにした。熟睡し、6時過ぎに目覚めた。 朝の妻からの連絡、そして保育園、会社へ  朝7時過ぎに携帯に連絡があった。もう大丈夫と判断され、退院する、そして四男坊は元気であるとのことだった。その頃、子供たちはそれぞれ朝食を自分たちで作り、娘の朝食も子供たちが作っていた。私は仕事へ行く準備をしながら、誰に言われるわけもなく自分たちで朝食を終え、娘に食べさせ、そして娘の服まで着せようとしていた子供たちの行動にかなり驚いた。昨晩の「お母さんは帰ってこないかもしれない」という私の一言だけで彼らは自分なりにやるべきことを理解したのかもしれない。あるいは、毎日の生活の中で既にこのような流れが出きていたのかもしれない。いずれにせよ、3人の小学生たちはいつも通り、何事も無かったように学校へ向かった。  その後、娘を連れて保育園へ向かった。すぐに園長先生がお詫びに来られた。その後、娘の教室に行くと、四男坊の担任の先生お二人もお詫びに来られた。「昨日はありがとうございました。もう退院するそうです、本当にありがとうございました」と私は挨拶した。  定時を5分遅刻し、会社へ到着した。そして10時頃、退院する旨の連絡を妻から受け、それから40分後くらいに自宅に戻ったとの連絡も受けた。私の携帯に向かって四男坊は何か喋りかけていたようだが、何も聞こえなかった。ただ、今日一日、安静にすればこれからは何事も起こらないと私は確信に近い何かを感じた。 今、思うこと  お蔭様で今回、四男坊は無事だった。しかし、四男坊が最悪の場合、あるいは長期入院という結果になったとすれば、先生方は大きな心の傷を負われるのではと私は思う。我々、家族自体が最もつらい思いをすることは当然である。ただ、今回の件で担任の若い先生方は「一つの経験」をされたと思う。保育園全体でみれば園児の怪我などは珍しいことではないだろう。しかし、個々の保育士の先生にとってみれば、「自分が担任している園児が怪我をする」という経験は、何度もあるはずはない。ましてや、精密検査の結果を家族と共に待つといったことも経験としては少ないはずだと思う。  本当はもう少し、今朝、保育園の担任の先生とは、お話がしたかった。それは、「今回の事故を失敗やミスと考えず、一つの経験として、自分なりに捉え、あと一年数ヶ月という四男坊が卒園するまで、しっかり見守って下さい」ということ。私は、今回の事故が先生方の「怠慢」によるものとは思っていない。もちろん、現場を見たわけでもなく、現時点で妻とも電話でしかやりとりをしておらず、ましてや四男坊の顔も見ていない。ただ、子供たちが通っている保育園の行事に私は積極的に参加し、今まで3人もの子供を卒園まで導いていただいた保育園の雰囲気はそれなりに理解している。  「怠慢」であれば私は先生方に謝罪を求めるだろう、どんなことであろうとも。しかし、今回は失敗かミスであるかに関係なく、この件を機に「最後まで無事に四男坊を卒園させてください、見守ってください」と私はいつか時間や機会があれば、先生方にお話したいと思っている。  最後になるが、いつの場合もどんな時でも子供たちの病気や入院に付き添ってもらっている妻に、改めてありがとうと言いたい。  以上、一つの記録として、一人の父親としてこのエントリを記すこととする。 起業家ブログへ。