ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

人が亡くなるという意味が少しだけわかる年齢になった

2005年10月25日、今週水曜日の早朝に父方の母、私にとっての祖母が93歳で亡くなりました。

そして昨晩、九州から戻ってきました。

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私が6歳の頃、今から30年以上前に母方の祖父が亡くなりました。

私も6歳ということで、鏡の前で「おじいちゃんが死んだ」ということを思いながら泣いていた記憶があります。しかし、ほんの僅かな記憶しかありません。

私が米国留学時代、母方の祖母が亡くなりました。

日本から危篤という電話があり、翌日、すぐにアメリカから飛行機に乗り、数日後に亡くなりました。この時、初めて「人が亡くなる」という瞬間を体験しました。

そして、10年程前、私が青森滞在時代、父方の祖父が亡くなりました。

すべてを終えて、空港で帰りの飛行機を待つ間、ロビーで夕焼けを見ながら、「おじいちゃん、亡くなったんだな」と改めて感じていた記憶があります。

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今回、九州へ向かう新幹線の中で、窓から流れる風景を見ながら、「告別式」というものは文字通り、別れを告げるものなのかなと考えていました。そして、どんな別れの言葉をおばあちゃんに告げようかなと考えていました。

しかし、おばあちゃんと実際に対面すると、何の言葉も発することはできませんでした。子供の頃、毎年、夏休みに九州に行き、楽しく遊んでもらった記憶だけが、本当に走馬灯の如く、頭の中を駆け巡りました。この年齢になって初めての経験でした。

そして、すべてを終え、九州のおじさん達と思い出話をしていました。おじさんが私に一言、話されました。

「あんた達のような若い者が、おばあちゃんの意志を引き継いでいかなきゃならんのだよ」と。

「何を引き継ぐかは自分で考えろ、しかし何かを引き継がなければならんことは忘れるな」とも。

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昨晩、帰りの新幹線に乗りながら色々と考えていました。

私にとって、「おじいちゃん・おばあちゃん」と言える存在が無くなってしまったということ、そして、そういう年齢に私も達したということ。

そして、九州のおばあちゃんだけでなく、今まで亡くなってきた、4人の祖母・祖父は、我々に何かを残していった、そして、その何かを我々は引き継がなければならないということ。

私には何を引き継ぐことができるのか、引き継ぐべきものは何なのか。

このようなことを車中で考えていました。

今までは、「人が亡くなる」という事実だけを受け止めてきました。しかし、「人が亡くなる」ということは、その方々の何かを引き継がなければならないことを今回、初めて理解しました。

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明日、10月29日、私は38歳になります。

「何を引き継ぐことができるのか、引き継ぐべきものは何なのかを見極める」ということを理解していてもそれを実現できる人格にはまだまだ達していません。

生まれて、38年という年月を経た今、故人の意志を理解し、これを引継ぎ、実現できる人間に、できる限り早くなりたいと私は今、考えています。

いずれにせよ、祖母の死から私の誕生日までという、この一週間は私の人生にとって、いつになっても決して忘れることができない日々となることはだけは確かだと私は思います。