「静かな時限爆弾」、アスベスト、そして・・・
今日、昼時に小さな「赤とんぼ」を見た。
何年振りのことだろうか。
本当に「赤とんぼ」かなと思いながらも。
私が小学生だった頃は、今から約30年前。
あの頃、夏になれば、カブトムシを採りに行き、
秋になれば、赤とんぼが飛び舞い、
赤とんぼの前で指をぐるぐると回して、遊んでいた。
近くの川では、いつ行っても数十匹の小魚が採れた。
川の石を裏返せば、カニがたくさん隠れていた。
30年ほど前の思い出である。
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今、アスベストの被害にあわれた方々が多いとのことだ。
特に肺に関する病気は、他の病気と比べて非常に苦しいものだと
医学関係の私の友人が言っていた。
しかし、当事者ではない私に論じる資格は無い。
私が子供の頃、ようやくアスベストの規制が日本で始まった。
欧米ではもう少し前から規制が行われていた。
日本の規制や対応が遅れたかどうかを議論したいわけではない。
今では、「静かな時限爆弾」と呼ばれるアスベストの被害。
私が子供の頃にスイッチが押された爆弾が今、爆発している、
爆発しかけているということなのかもしれない。
ただ、残念なことは時限爆弾が存在しながらも、
そして、スイッチが押されたかもしれないことに気付きながらも、
爆発して被害が生じてから、さぁ、どうするかと対策をとっていること。
犯人探しも、必要無い。
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今、私が小学校の頃に遊んでいた場所には、
川も無ければ、森も無い。田んぼもまったく見かけなくなった。
もちろん、「開発」という観点から仕方が無い、
造成しなければ人々が生活できない、
経済的事情から土地を手放したなど、
様々な理由があると思う。
誰それが悪いと批判しても、意味もない。
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しかし、じっくりと考えてみれば、
他にも時限爆弾は存在しているのかも知れないと、
私は赤とんぼを見つめながら考えた。
そして、私が子供の頃にスイッチが押され、
今、爆発するのではなく、
私の子供たちが私くらいの年齢になる、
今から30年後にセットされている爆弾も存在しているのではないかと。
私は、いつものように温暖化について語っているわけでもない。
しかし、最近、少なくとも私の周りで見かけなくなった赤トンボ。
コミュニケーションがうまくとれない若い方々。
様々な心の問題や、昔では想像もできなかった犯罪。
誰が悪いか、何が問題なのか、原因を究明することも必要かもしれない。
しかし、積み重なった何かがそうさせたと私は思う。
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結局、爆発の規模に違いがあったとしても、
様々な形の爆弾が世の中には存在し、
そしてスイッチが入っているものもあれば、そうでないものもある。
また、1年後、5年後、100年後など爆発する時期も様々だろう。
重要なこと。それは、
個々ができる範囲、個々の技量で、
スイッチを押さないように、
爆弾をつくらないように、
そして、可能であれば時限爆弾を取り除く行動に出ること。
これだけを意識するだけでも少しは前進すると思う。
我々も曖昧、そして微力ながらも
時限爆弾をある分野で、そしてある方法で、
取り除く行動をしているつもりだ。
個々ができることをすれば良い。
何もしないより、はるかに良いと思う。
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ただ、私も含めて人間は、爆発してから
現実を体感しないと、行動に移すことが難しい習性を持っていると思う。
「現実を体感しないと行動に出ない」ということをまず認識し、
そして、私が今まで書いてきたように、
個々が今からできることをすれば良いと、私は思う。
そうすれば、もしかしたら近い将来、赤とんぼが、
また飛び舞う姿を見ることができるかもしれない。