ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

地球温暖化 :人間は恐竜より賢いのか?

過日のG8サミットでは、会議開始直前のロンドンでの同時多発テロで、サミットの主要議題であったアフリカ問題と気候変動問題は少し薄れてしまった感がありますが、仕方が無いことです。

さて、私は過去に何度も「地球温暖化」について議論してきましたが、今回は、少し違った角度で「地球温暖化問題」について考えてみます。ちなみに長文となる予定ですので、ここ数日の祝日にゆっくりとお読み下さい。

地球の歴史

地球の歴史を一年に換算した事例が見られます。下記のような感じです。我々が環境教育の事業で子供達に説明しているもので、精緻なものではありません。

 1月1日:地球の誕生。隕石の衝突によって、隕石に含まれていた水蒸気や二酸化炭素が大気を作った。

 2月17日:生命が誕生(単細胞)。

 5月31日:光合成が可能な生物の誕生し酸素を放出。

10月13日:多細胞生物の出現。

12月 3日:生物が海から陸へ上がった時期。

12月20日:恐竜の出現。

12月26日:なんと6日間で恐竜は絶滅。

12月31日:年末にやっと人類が誕生。

翌年1月3日:人類滅亡

さて、この地球を一年でみた事例は、諸説ありますが、基本的に人類は地球の歴史の中で最後に出現し、温暖化が主たる原因かどうかはともかく、ある学者は翌年の1月3日に絶滅すると予言しています。12月31日の後半に人類は誕生していますので、実際の人類の歴史は3日間で恐竜の6日間の半分に相当します。

少しわかりにくいですが、この画像でもご理解いただけるように、重要な点は、地球という長い歴史の中で人類は、まだまだ歴史に刻むほどの存在ではないということなのです。やっと出現といった感じでしょうか。そして、もし科学者の予想が的中すれば、やっと出現しても3日で終了ということ。人類の存在しない地球があり得るかどうかはともかくとして。

恐竜はなぜ絶滅したか?

恐竜が生息していた期間は、約1億6千万年と言われています。2億年近くも地球で謳歌していたわけです。しかし彼らも絶滅してしまいました。理由は大きく2つの説があると言われています。巨大隕石説といって、地球に巨大な隕石が墜落し、その衝撃によって土やほこりが地球覆い、太陽光がさえぎられたことで、気温が下がり恐竜だけでなく生物の約80%近くが絶滅したという説です。

もう一つは、今から約1.4億年ほど前に始まり6500万年前に終わった白亜紀の中で、白亜紀の後半は、地球全体の大陸分裂が活発で、この分裂によって海の流れが変わり、気温が下がったため、恐竜は絶滅したという説です。

ちなみに我々が事業として展開している「樹木」は約3.6億年前に誕生していると言われ、恐竜絶滅期以降に広葉樹が全盛時代だったのではとも言われています。樹木というものは寒さに強いものなのです。北海道のマイナス20度などの地域でも樹木は容易に寒さに耐えて生育していること考えればご理解いただけるでしょう。また樹木は熱さにも強いのです。街路樹が植栽されている目的の一つは、大規模な地震などで都市が火事になった場合、街路樹が防火柵のような役目を果たすという樹木の特性を考慮した都市計画がなされているわけです。

気候変動(自然の要因と人為的要因)とは?

気候変動とは基本的に過去からあったわけです。1万年のスパンで見た気候の変化など様々な角度から研究されてきています。今回、「恐竜の絶滅」をご紹介した理由も大きく二つの説(=絶滅の発端)があるにせよ、気温が下がったことが絶滅の原因となります。よって、「地球温暖化」がクローズアップされる以前にも気候変動については研究がなされていたと共に、地球の長い歴史には必ず、気候変動が繰り返し行われてきたわけなのです。

考えるべき点は「自然の要因、あるいは自然の摂理によってもたらされた気候変動」なのか、人間という地球にとって、まだまだ短い存在であるにも関わらず、「人為的な要因によってもたらされた気候変動」なのか、ということにあります。自然の要因には、海の動きや火山噴火など、そして人為的要因は、多くの方がご存知の経済活動等による温室効果ガスの増加、森林破壊などが挙げられるでしょう。

気候変動から地球温暖化

重複になりますが、気候変動は地球の長い歴史の中で繰り返し行われてきました。

問題は、

予想される自然要因による気候変動と比較し、

人為的要因による気候変動が勝ってしまい、

その変動が問題視すべきほど大きい

ということにあります。

よって、近年は、「気候変動=地球温暖化」という意味合いで捉えられることが多くなってきたわけです。1992年に開催されたリオの地球サミットにおいて採択された「気候変動枠組条約」が最たる例と言えるでしょう。

私の持論

さて、ここから私の持論となります。極論と思われる方もおられるかもしれません。

ご紹介した「恐竜の絶滅」は自然的要因による気候変動の変化があまりにも大きく、恐竜を含め多くの生物がこの変化に耐えられなかったと言えます。しかし一瞬にして絶滅したわけではなく、少なくとも数年か数十年は要したはずです。

この大きな気候変動に恐竜達や生物はサミットを開催したり、気候変動防止対策をとったでしょうか? もちろん、そんなことはあり得ません。なぜならそこまでの知能がなかったからです。そして対策をとることなく絶滅してしまったわけです。換言すれば、彼らにとっては気候変動は問題であったかもしれませんが、残念ながら問題について対策をとることはできなかったわけです。

さて、重複になりますが気候変動は今も自然的要因によってもたらされています。そして人間もこれをかなり過去から知っていました。なぜなら恐竜をはるかに上回る知能があるからです。そして恐竜の絶滅の原因も気候変動に耐えられなかったからということも知っていました。

そして、人為的要因による気候変動という存在も人類は知っていました。また、どれだけの人為的要因が気候変動を加速化させるかも知っていました。しかし、人類は知っていながらも、気候変動を加速化させることばかりをやり続けてしまいました。もう後戻りできない程の傷を地球に与えてしまったのかもしれません。まだまだ地球の長い歴史の中では新参者というのに。

ようやく最近になって、新参者の我々、人類は地球へ与えた深い傷を治そうと努力を始めました。しかし、まだまだ国家という枠組みや経済発展という利害関係の元に一致団結して傷を治す世界部隊はできあがっていません。もちろん、一致団結することが非常に難しいことは私も理解しています。そして私だけが叫んだところで何の前進にもなりません。

少し視点を変えてみましょう。

愛知万博のテーマは「自然の叡智」です。自然は人間をはるかに凌駕した知恵を持っていると認識し、自然から学ぼうという姿勢です。自然よりも知能に勝っていると思っていた人類が、やっと今になって、自然から学ぶことに気付いたわけです。愛知万博の中身はともかくとして。

そして、私も過去に何回か記事にした「COOL・BIZ(クール・ビズ)」。今回のエントリを今まで読み続けていただいた方には、軽装にすることで冷房設定温度を下げたところで、地球の大きな傷が治るとは到底、考えられないと思われないでしょうか? もちろんこの取組みを否定はしません。しかし、大きな傷口のほんの一部が塞がる程度です。また、塞がった傷口もちょっとしたことで開いてしまうような気もしています。これだけの取組みだけでは。

結局、どんなに人類の知能が発達したとしても、その知恵が邪魔をして大きな傷口は拡大するばかりです。そして、今後、地球温暖化がどのように推移するのか想像はできません。

ただ言えること。

人間が自らの知恵によって生じさせた、

過度の気候変動によって、

絶滅の危機に瀕したとき、

人間は恐竜と同じく、適切な対策をとれなかった、

とその時になってやっと、人類は考えるでしょう。

そうです。今の人間は気候変動に対し、残念ながら対策を立てられなかった恐竜達と同じことをやっているのかもしれないのです。対策を立てていたとしても、結局、立てることはできなかったわけです。

「人類と恐竜、どちらが賢いのか」。

恐竜に笑われないように、今一度、何をすべきかを人類は高度に発達した知恵を使うべきなのです。

我々、人類は、恐竜を発掘し、様々な角度から研究しています。そして博物館などで恐竜の化石や復元を見ることができます。愛知万博では、シベリアで発見されたマンモスを見ることができます。博物館や愛知万博で見た恐竜やマンモスに何を感じるかは人それぞれでしょう。私が否定することは何もありません。

ただ、数千年後か数万年後か私にはわかりませんが、人類に続く次の生命体が気候変動に勝てなかった我々、人類を発掘し、博物館で次の生命体が見物するようなことが起きるかもしれません。極論かもしれませんが、このように博物館や愛知万博で恐竜やマンモスを見ながら考えている人間は存在しているでしょうか。

少なくとも、私自身だけでなく、家族、子供たち、友人が次の生命体に発掘されるなんてことは想像もしたくありません。

極論ですが、このような想像することも難しい大局から地球温暖化について考える必要があるのではと私は思います。