ブログが教育を変えられるのか?
久しぶりの更新です。多忙でした。
久しぶりということで私のブログスタイルとしては珍しくニュースソース引用によるエントリです。
また久しぶりに長文です(昨晩、夜中に原稿書きましたので)。
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「子どもはみなブログを持て! : ニュース : ネット&デジタル : YOMIURI ONLINE(読売新聞)」
(読売新聞のリンクポリシーでは個別記事のリンクは事前に了承を得なければならないそうなので、リンクは張りません)
以下、上記記事一部引用
子どもはみなブログを持て!ニッポンの明日には、ブログが一番!
総務省は14日、小中高校生のだれもがブログ(日記風の簡易ホームページ)を書くような環境をづくりをめざす方針を決めた。同省が設置した「情報フロンティア研究会」(座長=國領二郎・慶応大学教授)が、日本の「IT(情報技術)力」を強化する方法として、「あらゆる児童・生徒がブログを持つべき」と報告書で提言したのを受けたものだ。
報告書はこうした現状を打開し、IT社会で日本が優位に立つには、義務教育段階からネットワークで個人が発言する作法を身につけさせることが必要だと主張。あらゆる子どもが自分のブログを持つのが効果的だ、と力説した。
引用終わり
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この記事は総務省の「情報フロンティア研究会」(今年の3月11日第一回会合)の第6回会合(6月14日)の報告を受けてのものと思われます。u-Japan構想におけるICT(Information Communication Technology)政策大綱の一連の流れの一つと推察するのですが、「情報フロンティア研究会」の報告書をさっと読みましたが、ブログについても少しは書かれていましたが、上記報道の程、誇張されてはいません。少なくとも「子どもはみなブログを持て! ニッポンの明日には、ブログが一番!」は誇張しすぎです。
(ちなみに「Information Communication Technology」は最低でも「Information & Communication Technology」くらいにしないと海外では通用しないのではと思いつつも)
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また、「活字文化振興法案」という報道もありました。
以下、毎日新聞(6月6日付け)より一部引用
活字文化:言語力向上へ振興法案 超党派議連が今国会提出
国民の活字離れや読み書き能力の低下傾向が指摘されているのを受け、超党派の議員でつくる「活字文化議員連盟」(代表幹事・河村建夫前文部科学相ら、286人)は、公立図書館の充実や「言語力」の向上を目指す「文字・活字文化振興法案要綱」をまとめた。基本理念をめぐる自民党と公明党の調整が決着し、近く自民党総務会などの決定を経て今国会に提出し、成立を目指す。
法案要綱は13条から成り、文字・活字文化について「活字その他の文字を用いて表現されたもの(文章)を読み、書くことを中心として行われる精神的な活動、出版活動その他の文章を人に提供するための活動、文化的所産」と定義。基本理念として、(1)「国語」が文字・活字文化の基盤であることに配慮する(2)学校教育では、教育課程の全体を通じ、読む力や書く力、これらを基礎とする言語に関する能力(言語力)の涵養(かんよう)--などを挙げている。
地域における振興策としては、市町村に「必要な数の」公立図書館を設置し、司書や図書館資料を充実させるよう求めた。学校教育に関しては、国や地方公共団体が司書教諭や教育職員の養成・研修など人的・物的体制の整備に取り組むこととした。出版活動の支援も盛り込まれ、翻訳機会の少ない外国の出版物の翻訳支援、学術的出版物の普及などにも国が支援策を講ずることを求めた。
引用終わり
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この記事では、活字離れや読む・書く能力の低下を変えるため、文字・活字に焦点をあて、教育や各種インフラ整備をしていこうといったことを法案にしようといった感じでしょうか。毎週のように図書館に通っている私としては、図書館の充実化はうれしい限りです。最近の図書館はDVDやCD等も借りることができるのですが、まだまだそこまでの設備に至っている図書館は少ないのが現状です。
しかし「郵政民営化」よりも「図書館民営化」を議論すべきではないかとも思っています。論拠は、またいずれかの機会に
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さて、本題です。私の場合、
1)読むこと:
過去の私の記事にも書いたかもしれませんが、私は小学生の頃は日曜日は一人で早起きし、様々な本を読んでいました。親が本を周辺に置いてくれていたことも原因の一つかもしれませんが、「本を読みなさい」と言われて読んだのではなく、読みたいから本を読んでいたわけです。
そして、あまりにもおもしろく、布団にもぐり寝ているふりをして、懐中電灯を照らしながら「西遊記」を数週間、読み続けたことによって眼が悪くなってしまったわけです。また、本ではありませんが、中学生の頃から日経新聞を読むことは毎日の楽しみ・日課のようなものでした。日経新聞を読んで分からない語句があれば、本で調べるという流れが習慣となり、経済や経営の道を選んだ原因とも言えます。
2)書くこと:
私は小学生の頃に、自分で本を書きました。もちろん、出版などを意識したわけでもなく、また誰に言われたわけでもなく、自分が思い描いた物語をなぜか書いたわけです。私は絵を描くことが苦手なので、文章のみの10数ページにわたる自作本で製本もした記憶があります。
また、中学以降、最も好きな科目は「国語」で、カフカや夏目漱石あたりは何十回も読んだり、線を引いたりという感じでした。良き先生に恵まれたことも遠因の一つかもしれません。また、ビジネススクール時代には、徹底的に論文や文章の書き方を教え込まれました(過去にも書きましたが、ブログ文章は論文の書き方作法には完全に逸脱していますが)。
3)話すこと:
スピーチやコミュニケーションという観点では個々の性格も左右されるため、「話す」という議論からずれますが、私は基本的に「読む・書く」という二点のスキルがある程度あれば、「話す」というスキルも必然と身に付くのではと思っています。あくまで私の経験ですが。
また、私は日本語はもちろんですが、英語・中国語、標準語・関西弁・津軽弁などを話すことができます。中学生の頃、最初に買ったレコードは「マンハッタンズ」というソウルミュージックのグループでした。その後、昨今、話題のマイケル・ジャクソンやエア・サプライ、ビリージョエルなど当時、人気であった海外の音楽のレコードをかなり多く購入しました。そして耳で聴き、英文の歌詞を見ながら、何度も歌うと必然的に英語の発音や英語自体が身に付きました。今でも、当時の歌を歌詞を見なくとも歌えるものもあります。
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今までご紹介してきたことは限られた私の経験です。誰に強制されるわけもなく本を読み続け、これが発端となり書くことを覚え、楽しみを感じ、さらに海外の音楽と出会うことで、これも同様に耳から入った英語という言語を話すことを可能にしました。
このように、私は「読む・書く・話す」といったスキルは連鎖・関係があって初めて成立するのではと思っています。
ブログを教育に取り入れること、これ以上の活字離れを防止するために法案を成立させること、いずれも異論はありません。ブログを利用することでIT・ネット上、あるいは情報社会に子供の頃から慣れ親しめさせることにも異論はありません。
ただ、「読む・書く・話す」というスキルが身に付くようになる手段は、子供だけでなく大人も含め、何であっても良いのではないかと私は思います。私の場合は、本でありレコードであり、日経新聞であったわけです。何でも良いのです、自分にとって一番、快適に感じるものであれば。
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さて、今回のエントリは断片的な情報を元に、私なりにこれらの情報を捉え思うことを書きました。
換言すれば、断片情報の捉え方次第で私の意見・論拠は成立しないことにもつながります。
ブログの教育への取り込みや法案でのインフラ整備。否定はしませんが、これらだけで大きく変わるとは私は思いません。恐らく情報フロンティア研究会メンバーや法案立案者の方々もそうでしょう。
私の子供も学校の宿題という位置付けだと思っていますが、毎日、日記を書いています。また学校のパソコン教室で自分の名刺もつくっていました。なかなかかわいい名刺でした。
もし、近い将来、彼が教室でブログを書き、同級生のサイトでコメントしたりTBしている姿を想像すると、もう勘弁して! という感情になりそうです。さらには私のサイトまで息子のコメントやTBが来た日には、「そんなことしていないで、外で遊んできなさい!」と言うのでは、いやきっとそのように言うと私は思います。
小学生ではなく中学・高等教育レベルでブログが活用された場合についても、私はいろいろと持論はありますが、本日はここまでとします。
では。