ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

言葉を話すことができない樹木のために

人類よりもはるか早くに地球に存在していた樹木。

しかし、なぜか言葉を発することができません。動物達のように鳴き声をあげることもできません。我々、人間や他の動物達のように樹木も様々な原因で病気になるというのに「痛い、苦しい」という言葉を発しないため、誰が見ても枯れかけている状態にならないと樹木が病気であることはわかりません。

北東北や北海道を除き、ここ数週間、花見で盛り上がった日本列島。

彼らサクラ達が脚光を浴びるのも、既に一年後になってしまいました。彼らが来年もまた脚光を浴び、人々の目を楽しませてくれるために、そしてサクラだけでなくすべての物言わぬ樹木のために我々は影武者のように日々、樹木と接しています。

さて、写真は今日、実施したある場所の「杉」の診断風景です。

幹まわり4m、高さ30m程度の大木です。人間の医学の世界で言えば、「問診」の状態に該当します。人間のように病院まで歩くことができないため、我々が出向きハシゴに登って樹木の概観から状況を把握します。

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(※写真のオレンジ・青部分がセンサー設置場所です)

問診の次は、おかしいなと思われる臓器のレントゲン撮影です。

今回は、この杉が倒木しないか、人間なら余命があと何年かを決める段階と言えるかもしれません。本来であれば、もう少し早い時期に杉の状況把握や幹、根の調査をしておけば、違ったアプローチで回復手術を実施できたのですが、お話したように物言わぬ樹木は誰が見ても危ないとわかる段階にならない限り、我々の出番は多くありません。

樹木版レントゲン撮影は、弾性波を利用した特殊機器で幹内部を測定します。

レントゲンやCTスキャンのような原理ではありませんが、幹周囲にセンサーを設置し測定された画像はフルカラーで、内部が手に取るようにわかる仕組みとなっています。残念ながら守秘義務等で今回の杉の画像はブログ上ではお見せできませんが、結果は幹断面積に占める腐朽・空洞部分が62%という結果でした。厳密ではありませんが、人間で言えば腫瘍が胃の62%まで達しているといった感じです。

(※写真は今回、診断した杉ではなく他の樹木です。)

医学の世界では、レントゲン撮影後、医師が病名を特定し、手術を実施したり患者は薬を飲んだりします。樹木の回復も必要であれば手術を実施し、必要な薬剤を投入します。たまにTV等で「木のお医者さん」といった形で放送されることがあります。我々も木のお医者さんなのですが他の方々との決定的な違いは、「限りなく人間の医学の世界に近い客観的なアプローチ」で樹木と接すると共に、回復手術や土壌の改良などに使用する資材は農薬や化学肥料ではなく、すべて「環境に考慮した資材や独自開発製品」を利用しているという点です。

今回、日本の杉(Japan Cedar)を画像診断しましたが、恐らく世界初だと思われます。

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さて、これ以上は宣伝になってしまいますので書きません。

最後に一つだけ私の考えを述べます。

多くの皆様がご承知の「手のひらを太陽に」という歌。子供の頃によく口ずさんだものです。

この歌の歌詞を思い出してください。下記のような内容だと思います。

我々、人間は生きているから笑うこともできるし、悲しむこともできる。

そして、手のひらを太陽に透かせば真っ赤な血潮を見ることができる。

ミミズもミツバチもトンボも生きている。

だから、我々と共に生きていくことができ、友達である。

私は、思います。

我々の生活を豊かにしてくれている、また有形無形の恩恵を与えてくれている木々。

彼らも笑いたくなる時もあれば、時には叫びたいほど悲しいこともある。

彼らにも、血潮は流れており、彼らも生きている。

だから友達であり、友達であるべきです。

ただ、表情に出したり、言葉を発することができないだけなのです。

樹木にとって最高の晴舞台である開花。もちろんサクラ以外の木々もこれから花を咲かすものもあります。しかし舞台は年に一回です。年に一回だけの舞台で最高の演技を見せるべく彼らはそれ以外の毎日は懸命に稽古をしているはず。例え、表情に出したり、言葉を発することができなくとも。

我々ができること。

それは、晴舞台だけでなく、懸命に稽古している彼らを見守ることです。

疲れていないか、人間自身が稽古の邪魔をしていないか、見守り続けて欲しい。

見守り続ければ、少しの異変でも気付くかもしれません。

そして、年に一度の本番には、じっくりと演技を見てください。

また、最後には大勢の拍手の元に、良くがんばったと声をかけて下さい。

来年も最高の演技をしてくれよ、と。

そして明日からの稽古を共に歩んでいこうと声をかけ、さらに見守り続けていただければと

私は思います。