ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

花粉症でお悩みの方へ

一夜、明けると路上駐車している私の車の窓ガラスには、花粉がびっしりです。昨今、街中で完全マスクをされている花粉症でお悩みの方を多数見かけます。

実は、私も若かりし頃は「花粉症」でした。お悩みの方のお気持ちは想像に難くありません。

青森県弘前市というところに滞在していた頃のことです。北東北地方は、5月のゴールデンウィーク頃に、一斉に花が咲きます。サクラはもちろんのこと、リンゴの花も含め、5月になると弘前市に、春の訪れが体感できます。

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弘前市に滞在していた頃、サクラやリンゴといったバラ科の樹木に利用する資材の開発と販売に関わっていました。それまで、花粉症というものを経験したことの無い私も、5月のゴールデンウィークに、一斉に花粉が飛び交う町の中で、その発生源であるサクラ並木やリンゴ畑に突入し仕事をしていました。これが原因で花粉症になってしまいました。

しかし、いくら花粉症でも仕事はリンゴ畑といった大自然の真っ只中です。逃げるわけにはいきません。また、農家の方と畑でお話する時に、「いや、花粉症で困っているんです」と言えば、「何を言っているんだ、それじゃ、仕事にならないだろう。」との嘲笑に似たお言葉を頂戴しました。

そこで私は決心しました。簡単な話です。花粉に飛び込みました。くしゃみや鼻水に苦しみながらも、リンゴ畑に毎日、通い続けました。そうすると、知らない間に症状が出なくなりました。耐性がついたのかもしれません。

もちろん、この私のやり方で治る方がおられるとも思っていませんし、このやり方を薦めるわけでもありません。もしかすれば花粉症では無かったのかもしれませんが、リンゴの開花時期にくしゃみや鼻水が出始め、一年間は、リンゴ畑に近づくだけで同様の症状が出ていました。畑の土埃にも粘膜が敏感になっていたのでしょう。ただ、一年間、畑に通い続けて、症状はある日、突然、止まりました。

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少し話を変えてみましょう。

実は私は、アルコールも一滴も飲めない体質でした。私の家系はそういう体質です。しかし、青森にいた頃は、やはり、昼間の畑での営業も必要ですが、夜の農家の方々とのコミュニケーションが重要な役割を果たしていました。農家の方々は、本当に良く飲まれます。

私もお誘いを受け、飲みながらも途中でトイレにいくふりをしながら大量の水を飲んで、酔いをさまし、また飲んで、トイレへ、というものを繰り返していました。

これを繰り返すとこれまた耐性ができてしまいました。農家の方々との夜のコミュニケーションが一年足らずで苦にならなくなりました。

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今までご紹介した私の話は、少し極端過ぎるかもしれません。ただ、若かりし頃、何とか仕事を達成したいという一心で、体質も変えることができました。

米国留学時代には、テストの前の晩に熱が出たのですが、厚着をして2時間寝ただけで、汗びっしょりになり、熱がおさまった記憶もあります。MBAのテストの過酷さが熱をおさめたのでしょう。

さて、一つ前の私のエントリー「経営者の顔、堀江社長を見て」で、「Sunshine ~enjoy your time !」の「yangさん」から

行動しなければ、ゼロです。

過程に苦闘ができなければ、先の挑戦が無駄になります。

両者は掛け算なので、「苦闘」がゼロなら、

「挑戦」がたとえ100あっても、目標は叶いません。

というコメントをいただきました。

恐らく、精神力と体力も両者は掛け算なのでしょう。どちらかがゼロなら、目標も達成できないし、病気にもかかってしまう。できれば両者ともイコールであり続けたい。

かなり花粉症の話からずれましたが、「yangさん」のコメントから気付かされた話でした。もちろん私も40歳近いので、無理は禁物であり、いつか無理をし続けると、突然、病気になることもあるでしょう。実際にそうでした。

例えばスポーツ選手の場合、「体力の限界」を感じられるのは平均して35歳前後だと思います。ただ、35歳を過ぎても現役で活躍されている方も多くはありませんが存在します。こういった方々は精神力=体力、あるいは精神力の方が体力よりも勝っておられるのかもしれません。

そんな経営者になりたいと私は思います。

追記:06年3月20日

かなり古いエントリですが木村剛氏へTB致します。

花粉症を気合で治していただくために。

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