ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

祖父の教え。法華倶楽部の資金調達

私の祖父は「小島愛之助」と言います。1884年生まれなので今から120年前の生まれとなります。私が6歳の頃に亡くなりました。祖父は5歳で母を、11歳で父を失いました。私の名前が愛一郎というのも少し分かっていただけると思います。

その後、祖父はある方との出会いで、日蓮上人の教えを布教されている方に師事され、日本全国だけでなく海外でも布教活動をされました。

そういった布教活動は多くは日蓮宗のお寺で開催されることが多く、必然的にご住職や信徒の方とお話する機会があったわけです。

そこでの多くの話題は、「京都は多くの寺院があり、参拝客も多い。しかし安心して利用できる宿が少ない」ということでした。当時1900年代は、旅館というのは相部屋、泊まるお客様次第で宿泊代も変わるという状況でした。

そこで、当時では画期的なビジネスモデルである「1泊2食付き個別部屋」という、いわゆる「ビジネスホテル」の原形を祖父は生み出しました。今でいうシティホテル、昔で言うところのビジネスホテルという原形をつくったのが私の祖父です。

ご存知の方もおられるかも知れませんが、「法華倶楽部」というホテルチェーンの創立の由来と言えます。過去に私なりの資金調達方法について書いてきましたが、私の祖父の資金調達方法は、私には到底できない凄まじいものでした。

布教活動で知り合ったお寺のご住職や地方の名士の方に会社設立趣意書、いわゆる今でいうところの事業計画書を持って、一口25円の出資金で1600円の借入をしたわけです。当時は株式会社という概念などは無いため、出資でなく借入しか手段がなかったわけです。

そして、その資金1920年に京都駅前に開業。1泊2食付きで宿泊料金40銭でスタートされました。周辺の旅館が1円50銭程度だったので、破格の値段でした。現在、ビジネスホテルの宿泊料金が8000円と仮定すると、宿泊料金一泊1円と設定すれば、8000円=当時1円となり、1600円の借入は現在の金額で計算すると約1000万円程度の資金調達となります。何の担保も無く、貸していただいた方々は、祖父の気迫に賛同された方だと言えます。

しかし祖父の凄まじいところは、開業2ヶ月後に再度2回目の資金調達の旅に出たというところです。1年半をかけて4000人の方々から借入をされました。総額6000円調達に成功されました。

こうして、本格開業を1926年に実施。1920年の開業から本格開業開始ですぐに黒字転換という結果になりました。

さて、このブログ長文となりましたが、今でこそベンチャーキャピタルや各種支援制度、金融機関の様々な融資制度などがあります。

1923年が関東大震災です。日本経済もまったく不透明な時期に、1年半をかけて全国を歩き、4000人方々からの借入、事業に賛同された方による出資とも言えますが、この迫力に比べれば、私なんか、何の論外と言えます。

結局、残念なことに法華倶楽部は会社更正法で事実上、倒産(その後、無事、2008年9月末に更生会社終結されています)。

この点については、また次回以降ブログしますが、1900年代に一年半で4000人の方に資金提供してもらった祖父の凄まじさ。4000人に資金提供していただいたということは、一年半で恐らく数千人の方に会って資金提供の依頼をされたということだと思います。

私には到底できない、凄まじさです。私も祖父の行動を見習って、気迫を持って全国行脚することを、このブログで宣言します。

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