ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

私の人生を変えた青森県弘前市と弘前さくらまつり

 米国留学を終え、私はホテルマンになった。

  当時、全国に20店舗以上、展開していたホテルで私の祖父が「ビジネスホテル」という概念を導入したホテルチェーン。修行のため、横浜の某高級ホテルで身分を隠し、アルバイトとして働いた。
 しかし、突如として修行から約8ヶ月後、青森県弘前市のホテルへ出向命令が出た。なぜ、青森かについては、このブログを長年、ご覧になっている方ならご理解いただけるため、詳細は記載しない。

 参考:「木村秋則氏:リンゴ・リンゴジュース

 ただ、夜に青森空港に到着し、弘前市内へ向かうバスの車窓から大雪の風景を見ながら思った。「米国でMBAを取得し、東京の新規オープンするホテルで働くために修行してきた期間になぜ青森、何だろうか」と。

 そして、初日から躓いた。いわゆる革靴は雪国では通用しない。小さなアパートの一室は既に弘前店の支配人が用意してくれていた。もちろん、自家用車まで用意してくれるはずも無い。
 アパートから近くの靴屋まで、注意しながら歩き(何度も転んだが)、やっと雪国用の靴を購入した。その後、滑らない靴を履き、生活必需品や車などを購入。

 その日から、ホテルマンでは無く「リンゴ農家」各位を対象とした「樹木の味方」という剪定後の切口の塗布剤を売るための営業の日々が続いた。
 ちなみに、「津軽弁」は英語よりも遥かに難しい。当初は農家の方が笑っていれば、こちらも笑い、怒っているようであれば、謝っていたが、一年間、土日関係無しに、農家の方々と触れ合うことで、ようやく「津軽弁」を理解することはできた。

 お陰様で、二年目には、それなりに営業の成果が現れ、少なからずとも多くの方々にご利用いただくまでになった。ある意味、見知らぬ地で、見知らぬ業界で、モノを売り歩いたこととなる。
 もちろん私もリンゴについて勉強したが、それよりも多くの方々に、多様なことを教えていただいたことが、結果として現れた。

 最も嬉しかったことは、弘前城弘前公園のサクラの管理に我々の製品を利用いただいたこと。弘前市では、ゴールデンウィーク中に、サクラだけでなく、リンゴの花も満開となる。

 ゴールデンウィーク弘前公園のサクラを見る、いわゆる「弘前さくらまつり」は観光客数でいつも上位となる。そのため、2月から3月頃に、自衛隊の方々が3000本近い多種多様なサクラの剪定を行われる。高所作業になるためだ。

 その剪定切口に、我々の製品を塗布いただいている。

 専門的になるがサクラもリンゴもバラ科。剪定切口を塗布剤等で保護しなければ、切口から病原菌が容易に侵入し、腐っていく。従来は農薬を使われていたが、弘前公園の担当者の方が我々の製品を使うことを決められた。
 もちろん、利用いただくまでには様々な苦労があった。ただ、相手はサクラという嘘をつかない自然の一つ。何度か使っていただき、サクラが評価・実証してくれた。

 採用すると言われた際、若かった私は泣いた。

 そして、採用いただいた2年後だったと思う。私が属していた、祖父が築き上げたホテルチェーンが会社更生法を申請。その夜は、どのTVもトップニュースだった。生涯、忘れることの無い、テレビキャスターの声や画面。そして翌日の朝刊の一面。

 ただ、お陰様で、サクラや果樹の生育について数年間、書籍でなく現実を見続けたことで今の私の会社がある。
 人生とは不思議なもの。ただ、何事も手を抜かないことが最重要であることを、弘前市滞在中に学んだ。それだけでも今、思えば、ありがたい経験だったと思う。

 季節外れだが、私にとっては、忘れることのできない、想い出の弘前さくらまつりの動画をご覧いただければと思う。



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