ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

言葉一つで人は変わり、変えてしまう、綸言汗の如し:中学生になる次男坊君へ

中学入学

 今日、晴れて中学生になる次男坊君。入学おめでとう。中学生になれば、小学生時代とは大きく違う形で、様々なことを学び、そして様々な体験をすると思います。そこでお父さんの経験もふまえ、お父さんなりに思うことを、これから初めての世界に挑む次男坊君へのお祝いのメッセージとして残すこととします。

小学校の卒業式後のお父さんの言葉

 数週間前、お父さんとお母さんは、小学校の卒業式に参加しました。お父さんは卒業式の間、ずっと目を閉じて、6年間の君の人生を想い出していました。長いようで今、思えばあっという間の6年間でしたね。
 そして、卒業式後、教室に戻ると、担任の先生にとって9回目の最後の卒業式であることも知りました。そして先生が「全員が20歳になったら、同窓会を開いて、みんなで楽しく、一杯やろう」と言っておられましたね。

 お父さんが、翌日に君に話した言葉を覚えていますか?

 「20歳になったら、絶対に先生と同窓会を開けよ」と話したことを。そして君は「わかった」と言ってくれました。

お父さんの失敗から学んだ言葉の大切さ

 少し、お父さんの経験を紹介しましょう。

 君も知っているようにお父さんは小さな会社の社長です。会社には社員という会社を支えてくれる仲間がいます。お父さんは、この社員という仲間から相談や報告を日々、受ける立場にあります。

 社員の人から、「今日は、このような感じでうまく仕事を終えました」と毎日、報告があります。お父さんが社長という立場になったばかりの頃、お父さん自身が忙しかった時は、社員の人に対して、「わかりました」とか「了解」といった単純な言葉だけを残していた頃がありました。こんなお父さんの一言を聞いた社員の人は、お陰様でまだお父さんの会社で働いていもらっていますが、お父さんの言葉で、逆に「やる気」を瞬時に失ったなと今は理解しています。

 だから、お父さんは、今、できる限り「いろいろと大変だったと思う。今日も一日、ありがとう。そして明日もよろしくお願いします」といった言葉を社員の人に発するように努力しています。こうすることで、社員の人は「明日もがんばろう」と言葉にせずとも、心の中で感じ取り、次の日も頑張って仕事をしてくれるとお父さんは考えています。

 たまに、お父さんが電話中に、社員の人が帰宅するために、お父さんの部屋に来て、「お先に失礼します」と言う時があります。こんな時も、余程のことが無い限り、電話している相手に「ちょっとだけお待ちください」と伝えて、帰宅する社員の人に「明日も、よろしく。気をつけて帰ってね」と言います。

 それほど、言葉というものは大切なのです。

一度、発した言葉は、二度と元に戻せない

 さて、中学生になる次男坊君。

 綸言汗の如し(りんげんあせのごとし)という言葉があります。この言葉の背景は難しいので説明しませんが、「一度、出た汗というものは身体に戻ることは無い。このことと同じで、一度、発した言葉は、もう二度と取り消すことは、できない」といった意味のように考えて下さい。本来の意味は少し違いますが。

 これから、同級生や先輩、そしてお父さんやお母さん、君を含めた5人の兄弟。お父さんも想像できない程、いろいろな場面で、様々なことが生じると思います。時には悲しいこと、時には怒鳴りたくなるようなことがあるでしょう。

 そんな時、最初は、難しいかもしれませんが、言葉を発する前に、まず心の中で、一つ、二つ、三つといった感じで5秒間程、じっくりと考え、相手にとって一番、良い言葉は何か、あるいは相手も君も最も良き結果となる言葉を探し、その後、その言葉を君の口から実際に発して下さい。

 何も考えずに、すぐに感情が走るままに発した言葉は、時には良き結果を生むこともありますが、大半は、悪い結果を生み出します。そして一度、発した言葉は、流れ出てしまった汗と同じで元に戻ることはありません。

 君も知っているようにお父さんは小学生から高校生までサッカーの選手でした。高校時代、ふとしたことから膝に大きな怪我をしました。まったく歩けない状態になったお父さんは、病院に行き診察を受けました。お父さんの顔を見ずに、レントゲンだけを見ながら、お医者さんは一言だけ話されました。「これ以上は、無理だよ、君」と。

 お医者さんにとっては、何百人の患者と同じく接している通常通りの何気ない一言だったのかもしれません。ただお父さんにとっては、小学生から続けてきたサッカーを即刻、辞めろと言われたことに等しい言葉でした。お父さんは数日間、悩みましたが、サッカー部を辞めました。
 もし、お医者さんが「このような治療をすれば、半年後には復帰できるかもしれないよ」といったことをお父さんの顔を見つめて話していただければ、辞めなかったかもしれません。
 ただ、当時のお父さんには、「これ以上は無理」という一言のみが強烈に心に残り、他に相談する人も無く、自分で決めました。若かりし頃のお父さんにとっての大きな転機であり、今でも、恐らく一生、忘れることはないでしょう。
 
たった一言で、相手の人生は変わる、そして変えてしまう

 お医者さんのお父さんに対する瞬時の一言でお父さんのサッカー人生は終わりました。医学的には正しかったのかもしれませんが、いずれにせよ、お父さんのサッカー人生は、お医者さんの一言で終焉しました。 

 世の中には、いろいろな言葉があふれています。何気なしに発せられた言葉で傷付き、その言葉を一生、忘れられない人がいます。また、何気なしに発せられた言葉で、右往左往してしまう人や人生そのものが180度、変化する人もいます。それほど、一度、発した言葉というものは、自らも、そして相手の人生をも大きく左右することがあるのです。

 中学生では、まだ関係ないかもしれませんが、社会人になった時、あるいはそれなりの立場・地位にある人は、自らが発する言葉をかなり意識しなければなりません。
 時には、「言葉自体を発しない」ことも必要になります。このことを理解できている大人が数少ないのも事実です。

 態度や姿勢で、誰かの人生を狂わせてしまうことも多々、あります。しかし、「たった一言」だけで誰かの人生を変えてしまうこともあることを覚えておいて下さい。

 再度、言いましょう、次男坊君。

 お父さんにとっても難しいことですが、一つ、二つ、三つと心の中で数えて、君が思う最適な言葉を発するという大切さを。発した言葉が自ら、そして相手にとって正しいかどうかは別の問題です。ただ、このことを中学生になって、少しずつ、実践していけば、君の中学生生活、そして友人たちと歩む、君のこれからの人生が有意義になるとお父さんは確信しています。

 20歳になったら必ず、同窓会を開くように。これも次男坊君自身が既に発した言葉であり、元に戻せないお父さんとの約束です。

 2010年4月6日 父、記す。

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