ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

なぜ竹刀でなく、手で殴ることができないのだろうか

 過日、相撲界でまた騒動があった。以下、「「間垣親方が弟子殴りけが 十両の豊桜はお玉で8針負わす」事件です‐事件ニュース:イザ!」より一部引用する。

 大相撲の間垣親方(55)=元横綱二代目若乃花、本名下山勝則=が、弟子を竹刀で殴ってけがをさせていたことが分かり、時津風部屋の新弟子暴行事件を受けて発足した日本相撲協会の再発防止検討委員会は17日、東京・両国国技館で開いた臨時会合で同親方を厳重注意とすることを決めた。

 陸奥部屋十両豊桜(34)=本名向俊昭=が1月下旬に序ノ口力士を調理器具のお玉で頭をたたき、8針縫うけがを負わせたことも判明。豊桜と師匠の陸奥親方(49)=元大関霧島、本名吉永一美=の2人も厳重注意とした。

 相撲協会の理事でもある間垣親方は、両国国技館で開催中の夏場所4日目(14日)の朝げいこで、序二段力士を竹刀で殴打。当日の取組を土俵下で見た審判から力士のけがについて報告を受けた。

 豊桜は今年1月、けいこの前に生活面を教育しようとして、力士の頭をお玉で約10発なぐった。すぐに救急車を呼んだが、陸奥親方に報告しなかった。親方は、この力士が4月20日に首を痛め、5月初旬に入院し、頭を丸刈りにしたときに、頭部に傷があることに気付いた。力士は殴られたことを隠そうとしたが、両親に電話して確認し、事件を把握した。

 一方は、竹刀で殴った怪我が露呈する程、弟子を殴り、一方では、後輩力士を8針も縫う程の怪我を「お玉」で負わせたという。

 この事件について、「「【甘口辛口】5月19日」コラむ‐その他論説ニュース:イザ!」(署名は相撲界コラムでは著名な今村忠氏)が、以下のように述べられている。こちらも一部引用する。

 

間垣親方のいうことにもうなずける部分はある。「いまの子は頭がいいから怒られない、叩かれないとわかると、いうことを聞かなくなる」 ▼現に叩かれた弟子は「オレが悪いんだから怒られて当然」と両親に報告し、「相撲を続けたい」と泣いて頭を下げたという。これを暴力ととるのか、愛のムチととるか。中華料理用のおたまで仕事を怠った若い力士の頭を殴り、8針縫うけがを負わせた豊桜の制裁も行き過ぎとはいえ陰湿ないじめとは違う ▼暴力を肯定する気は毛頭ないが、過剰に反応しすぎて尻の一つも叩かなくなったら強い力士は育つまい。ぬるま湯になりすぎて「親方に“ばかヤロー、このヤロー”といわれた」と“言葉の暴力”まで問題にされかねない。正しい愛のムチの意味を親方も弟子も、もう一度考え直す必要がある。

 今村氏の主張は、「現代の若い力士達は怒られない、叩かれないと思うと言うことを聞かなくなるものだ」という間垣親方の言い分にまず理解を示している。また、お玉で頭を殴った件についても、「行き過ぎた制裁と認めながらも陰湿ないじめとは違う」と位置づけている。そして最後に、「暴力はもちろん肯定しないが、世間の風潮などに過剰に反応することで、尻の一つも叩くことができない状態では強い力士は育たない」と結論付けている。

 私は、今村氏の主張に対し、非常に違和感を覚える。

 相撲だけでなく、特に格闘技関連のスポーツでは、竹刀を手に持って、指導に当たる風景を良く見る。しかし、私の知識不足かもしれないが、サッカーやラグビー、野球などのスポーツでは、竹刀を持って指導する風景を見た記憶がない。

 私は、小学校から高校生までサッカー部に所属していた。今から25年以上前のことだ。当時、先輩はもちろんのこと、コーチも監督も竹刀など手に持っていなかった。換言すれば、一部のスポーツにおいて竹刀が指導に使用されるといっても良いだろう。

 いずれにせよ、クラブ活動中に私は、監督・コーチだけでなく先輩からも何度も怒られた。言葉だけで足りない場合は、監督は私の尻を思い切り足で蹴り上げた。その痛みは今も忘れることは無い。

 今も昔も怒り方はともかくも、怒られることで、何かを理解、体得し成長していくことに変わりは無い。今村氏や親方が言うように、何もしなければ「言うことを聞かなくなる」という可能性を私は否定しない。

 重要な点は、指導方法の根底に存在すべきである「本当に強くさせたい」といった気持ちがあるかどうかだ。「愛情が存在しているかどうか」といっても過言ではないだろう。

 竹刀というモノで殴ることと、手や足など自らの力で殴ること。いずれも指導の一つの手段に変わりはない。

 しかし、大きな違いがそこにはある。竹刀で殴られた本人は本当の意味での「痛み」を感じる。しかし、竹刀を使う指導者には「痛み」は伴わない。軽く手が痺れる程度だろう。

 私は、先に引用した今村忠氏が言う「正しい愛のムチ」とは、殴られた本人も、そして殴る指導者も双方が「痛みを伴う」ものでなければならないと考える。

 お互いが「痛み」を伴わない方法は、指導ではない。単なる一方通行の暴力だ。そこには「愛」など微塵も存在していない。「弟子達が多いから竹刀を使わざるを得ない」といった言い訳も通用しない。この言い訳こそ、自らの手で殴ることで伴う「愛情のかけらも無い単なる痛み」を回避していることと同じだと私は考える。

 私には子供がいる。このエントリをご覧いただいている方にも子供がおられる方は多いだろう。皆様は、自分の子供を竹刀で殴った経験があるだろうか。

 私は、自分の子供が言うことを聞かない、勉強しないなどの理由で竹刀や他のモノで息子達や娘を殴ることは今までも、そしてこれからも無いと断言できる。もし、本当に必要と考えた際は手で殴るだろう。あるいは尻を足で蹴り付けるだろう。その行為で、私自身もその痛みを感じる。そして、その痛みで自らの子供が受けた痛みを身体で理解できる。そうすれば、怒りや感情のみが主体となっていると言っても過言でない「何度も殴り続ける」という制裁に近い事象も生じないはずだ。

 このように、子供も自らも同じ痛みを感じた際に、初めて単なる発作的な怒り、暴力から「しつけ」・「子育て」へとその行為が昇華していくと私は考える。

 ましてや、お玉で頭をたたき8針もの怪我を負わすなどといった行為は、先に引用した今村氏の「陰湿ないじめとは言えない」といったレベルを超越した「単なる暴力」に他ならない。なぜ、お玉で殴らなければならないのか。なぜ自らの手で殴ることができないのか。そこには、身近にあったお玉で殴るという単純かつ発作的な「怒り」しか見えず、「この後輩力士を育てよう」という意識は皆無だとしか私には思えない。

 時津風部屋の新弟子暴行事件を受けて発足した日本相撲協会の再発防止検討委員会。

 再発防止云々で外部の識者を呼ぶよりも、「力士を育てよう」という心からの思いを忘れた相撲界の現実を再認識しなければ、いつになっても何らかの事件は再発するだろう。また、今村氏が指摘するように「暴力はもちろん肯定しないが、世間の風潮などに過剰に反応することで、尻の一つも叩くことができない状態では強い力士は育たない」ことは事実だろう。しかし、そこには「弟子や相手を思いやる気持ちがまず先にあるべきであり、その思いやる気持ちが欠如した事象の最たるものが時津風部屋の残念な結果にある」と私は考える。

 感情が優先し、第三者的立場での冷静な指導、姿勢が時津風部屋の事件では皆無に等しかったとも言える。

 自らの痛みを避け、一方通行の痛みしか伴わない「愛の通わない指導」が「愛のムチ」と称して、これからも続けられるのであれば、過ちはこれからも何度も繰り返されるだろう。

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