ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

なぜ道路でなく道路工事が欲しいと率直に言わないのだろうか?

メジャー  私の自宅は四つ角にあり、周辺の道路は2台の車がやっと交差できる程の小さな道に囲まれている。自宅近くの駐車場から車で会社まで約10分。しかし、数日前の降雪で会社到着まで1時間以上を要した。  降雪した朝、自宅前の道には国道方面に向かって数十台の車が並んでいた。逆方向に車が通ろうにも通れないほどぎっしりと車が列をなしていた。その道を抜ければ国道になるのだが、京都方面行きが極めて渋滞しており、信号が青になっても3、4台がやっと抜けられるような状態だった。そんな渋滞の道を車内で待ちながら、今、自宅近くに急病の方がおられても救急車は通ることはできないだろうな、どうするのだろうかと考えていた。  さて、今、「ガソリンの暫定税率」・「道路特定財源」・「一般財源」など道路に関する問題について、行政や国会関係者の間で盛んに議論されている。  ある首長は「道路は生活のために絶対に必要」、ある議員は「道路に関する費用対効果が不透明、役所の言いなりだ」と言う。どこまでも平行線で噛合うことのない議論に見えて仕方が無い。  ただ、私が報道などで知る限り、誰一人として率直に、そして明確に「道路が必要なのではない、道路工事が欲しいのだ」と言った方はいない。誰か言われた方がおられるかもしれないが、国民の大半は、「本当は道路でなく、道路工事・公共事業が地元に必要だから、ここまで議論がなされているんだろう」と考えているはずだ。そして直接的、間接的な利害関係者がさらに首長や議員の背中を押す構図が見え隠れする。  我々の仕事は造園業だ。公共事業が年々、減少傾向にある。我々も少なからず影響を受けていることは確かで、近い将来、新たな道路が建設されれば、道路の植栽工事を我々が受注できるかもしれない。しかし、会社の事業に関係なく、今後10年間に約59兆円もの道路を建設することが果たして必要なのか疑問視せざるを得ない。  そして、道路特定財源の使途や費用対効果の不透明さが、暫定税率の引き下げあるいは10年間延長いずれかの議論をさらにややこしくしている。  明確なソースがあれば良いのだが、恐らくバイアス・恣意的なソースしかないと考えられるので、以下は私の想像だ。  「ガソリンの価格が高いまま=車に乗る人が減る=環境に良い」というまったくの一面しか見ていない主張が政府の一部にあった。では、59兆円分の道路建設で排出される巨大なCO2はどうなるのだろうか。  ガソリンの暫定税率が撤廃されれば、車に乗る人は今以上に増えるはずだ。特に輸送関係は鉄道輸送の一部がトラックなどにシフトしていくだろう。「ガソリンが安くなる=環境負荷がさらに高まる」という図式だ。  これからの10年間、さらに日本の人口は減少し続け、高齢化が目に見える、体感できる社会となるだろう。しかし、なぜか59兆円の道路を建設する必要があり、そのために暫定税率は撤廃できないと政府は、頑固にも見えるほどの主張を続ける。  私はガソリンの値段(厳密に言えば暫定税率)はこのままで良いと思う。ただ、税収すべてを道路建設に活用することには反対だ。財源が道路特定財源一般財源いずれかといった一般庶民がどう議論しても何も変えることができない区分けは今はどうでもいい。  私はガソリンから得た税収を道路ではなく、地下鉄などの公共交通や温暖化対策などに使うべきと思う。例えば、大都市の一つである京都さえ東西南北の2つしかまだ地下鉄は整備されておらず、極めて不便だ。車で移動せざるを得ない場合が多々ある。温暖化対策についても次の洞爺湖サミットで環境が議論の中心となる。その際、日本は道路で59兆円を10年間かけて建設する法案をやっと可決しましたとでも報告するのだろうか。恥ずかしくて他国の首脳に対して言えるはずも無いだろう。  私なりの想像した考えをまとめると、1)人口が減少することが明白な国が10年間で59兆円もの道路を建設することは諸外国と比較してもあり得ない。2)ガソリンが安くなれば自動車利用が増え、必ず環境負荷は高まる。3)59兆円の道路建設は利便性を上回る果てしない環境負荷を発生させる、という3点だ。だから、税収の一部を他に活用すべきと考える。  しかし、どうしても作るべき必要な道路というものが存在することを私は否定しない。先に述べたように私の自宅周辺の道は車の通行量と比較して極めて狭い。小学生の通学路でもある。小学生は登下校時に並んで歩く。彼ら彼女らの横を注意しながら走る車もあれば、スピードを落とさず、走り去る車もある。いつ事故が起きても不思議ではない道だ。  他にも道路が必要な要因は地域それぞれ多々あるだろう。ただ、従来通り、行政が計画すれば無駄が生じる。私だけでなく多くの国民も同じ思いだろう。  だからこそ、「本当に必要な道路」を建設する際は、その地域の住民が建設費の一部を負担すれば良いと思う。一人当たり1%などは到底無理だが、建設規模や想定される受益に応じて0.005%や0.001%などに変動させていけばいい。  重要なことは、国や自治体任せ、丸投げではなく、自らも建設費を一部負担するという「覚悟」を持つということだ。自分の財布から建設費の一部が引かれるのであれば、建設費や建設業者自体も住民自らが精査し、建設工程も見守るだろう。  自分の家を建築する時、すべてを業者任せにする人はいない。時には何度も図面を確認し、時には何度か建築現場に足を運ぶ。そうしていわゆるマイ・ホームというものを手に入れる。その流れと同じだ。自分の財布で一部負担した自分の道路という意識があれば、道路完成までに対する視点はまったく変わる。  道路は税金でつくられるもの。しかし、今まではあまりにも間接的であり、直接、自分が負担しているという意識は無かったはずだ。その意識を受益者のみが一部負担するという図式を認識することで、監視の目が高まるため道路の無駄遣いはなくなり、本当に必要な道路が適切な費用で完成すると私は考える。大規模な高速道路建設も自分の財布から一部捻出しなければならないと考えれば、本当にここに高速道路が必要か真剣に考えるだろう。  今まで述べてきたことは、夢物語かもしれない。あるいは、道路工事を欲しい人々にとっては、何を考えているのか、と思われるのかもしれない。しかし、このやり方を実行するくらいの気概がなければ、暫定税率がどうなったとしても、59兆円の道路建設が決定したとしても、いずれの場合も環境への負荷は高まることだけは確かだ。  昨日、民主党の管代表と宮崎県の東国原知事が、道路に関する公開討論を行った。私も一部のみニュースで見ていた。そこで、このようなやりとりがなされていた。 「なぜ宮崎県は他県と比較して道路整備が遅れているのですか」と質問された知事。 「政治家の影響力が関係していると聞いております」と答えた知事。  政治家や一部の関係者だけが左右できるモノの一つが道路ということだろう。そこには将来の地球環境への配慮など微塵も無い。今、自分の立場が守られればそれで良いという思いしかない。しかし、誰かがこの流れを止めなければ、何十兆円ものお金が、未来永劫、道路へ費やされる可能性がある。しかし、道路以外に費用を要するものは多々あるだろう。  悪循環の流れを断つには、再度になるが、自らが受益するものについては、自らの財布から直接、目に見える形で負担するという「覚悟」が必要だと私は考える。道路だけでなく、自らの生活に直結するものについてもそうだ。京都市が行っているゴミ袋の有料化も一つの例かもしれない(費用対効果については議論すべき点が多々あるが)。そうすれば無駄遣いは少なくとも解消への方向へ歩み、悪循環の流れは断ち切れるかもしれない。  一つか二つ前の総理大臣が言っていた。「改革には痛みが伴います」と。彼の言う痛みは今まで述べてきた「覚悟」とは少し違うかもしれない。しかし「痛み」こそが自らの生活を見直すきっかけの一つであることは間違いない。「痛い」という直接的な変化を感じなければ、誰しも動かず、何も変わらない。これは日常生活も会社経営も、そして国家の運営も同じだと私は考える。 【参考書籍】
道路の経済学 (講談社現代新書)
松下 文洋(著)
発売日:2005-05-19
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