
脚本家の
山田太一氏が雑誌のインタビューで「頑張れば夢はかなう」・「頑張れば何でもできると思うのは幻想だ」と発言したことが大きな反響を呼んでいるそうだ。インタビュー記事すべてを読んだわけではないが、今までの自分の人生の経験をふまえると「頑張るだけで夢はかなう」とは私も思わない。
私は、大学卒業後、紆余曲折の人生を歩んできた。普通の人では滅多にない「倒産」も経験してきた。そしてホテルマンになるという子供の頃からの夢は破れ、今、緑化関連の小さな
ベンチャー企業の社長をしている。しかし、学生時代には想像さえしなかった「緑化関連企業の社長」という今の立場を獲得するために「頑張った」とはまったく思っていない。社長になることで成功したとも、もちろん思っていない。
ただ、今まで家族と共に年齢を重ね、そして7年近く今の立場でいられる最大の理由は、多くの人々の支え、自らの失敗の積み重ねとそこから得た教訓、そして「運命」を素直に正面から受け止めたからだと私は考えている。よって、私は「一人で頑張るだけで、夢はかなうはずがない」と思うのだ。
頑張って夢をかなえたのは一部の人々
まず、大きな反響を呼んでいるという「
J-CASTニュース : 「頑張れば夢かなうは幻想、傲慢」 山田太一発言ネットで大反響」から一部引用する。
「頑張れば夢はかなう」とは良く聞く言葉だが、脚本家で作家の山田太一さんが雑誌のインタビューで「(これは)傲慢だと思っている」「頑張れば何でもできると思うのは幻想だ」などと発言したことが大反響を呼んでいる。
「僕は一握りの成功者が『頑張れば夢はかなう』と言うのは傲慢だと思っています。多くの人が前向きに生きるには、可能性のよき断念こそ必要ではないでしょうか」
雑誌やその他メディアでのインタビューなどには「頑張った結果、夢がかなった」という企業経営者の記事が散見される。もちろん書き方次第でいくらでも内容は変わるとしてもだ。よって、「頑張れば何でも実現できる」と確信している、あるいは実現した人がいるという存在は否定できない。
ただ、「頑張って夢をかなえた人は一部にしか過ぎない」ということが事実であることも否定できない。日々、頑張っている人の絶
対数と、夢をかなえた成功者の絶
対数では、前者が圧倒的に多いはずだ。しかし、現実は、日本中のあちこちに成功者が存在しているわけではない。それこそ昨今の格差問題など
事象として生じるはずもない。だからこそ「頑張れば夢はかなう」と単純に言うことは現実とも乖離している。
そして、山田氏が指摘する「傲慢」・「幻想」という側面は、「頑張るだけで何でもできる」と断言するなという指摘、そして、そう思い込むことの危険性を示唆していると共に、「頑張ること」の限界を暗示しているのではないかと私は考えると共に、この点についても意を異にしない。
夢の実現の第一歩は頑張れば可能だ
少し私自身のことを書いてみる。
私の祖父はあるホ
テルチェーンの創立者だった。それまで相部屋・料金不均一という業界の常識を打破し、「個室・一泊朝食付き・値段均一」という今では常識となっているビジネスホテル・シティホテルというコンセプトを創出した人だ。
私は直接的に言われた記憶は無いが、このホ
テルチェーンの後継者となるべく育てられた。小学校時代から、スポーツ選手になりたいわけでもなく、漠然と祖父のホテルで仕事をしたいなと考えていた。
中学時代に既に、私は曖昧ながらも留学を考えていた。中学当時から英語が好きだった私は、高校・大学とも英会話を時には独学で、時には英会話学校へ行き、学び続けた。そして大学に入学し、本格的に大学卒業後の
ビジネススクール入学を決意した。米国のそれなりのレベルの
ビジネススクールに入学するためには、英語力だけでなく、日本の大学時代の成績そのものも評価の対象となるため、大学時代もそれなりに勉強した。
そして、いくつかの
ビジネススクールの合
格通知を受け、最終的に
ワシントンD.C.にある
ビジネススクールへ入学した。留学した最大かつ唯一の理由は、ホ
テルチェーンの後継者となるべく「
経営学」を学ぶためだ。
ビジネススクール入学後、それこそ毎日、寝る以外は勉強ばかりしていた。一度だけ、テストに遅刻したことがあるが、15年近い昔の話だが、今でも夢に出てくる程だ。
小学生からの漠然、曖昧模糊とした夢は先にも述べた「ホ
テルチェーンの後継者となる」こと。その夢を実現するための選択肢の一つとして私は
ビジネススクール入学を選んだ。そして無事、卒業できた。
ビジネススクール卒業は、夢の実現までの第一歩に過ぎない。そのために、留学前に中学生時代から英語力向上のため日々、「頑張った」。今ではもう一度やれと言われても無理だと思うほどハードな
ビジネススクールでの授業も「頑張った」。
このように、「頑張る」だけでは夢は実現しないが、夢を実現するための原動力として「頑張る」ことは必要だ。それ以上でもそれ以下でも無い。
頑張ることより、多くの方々の協力や失敗が成果を加速化させる
帰国後、私は念願のホ
テルチェーンへ就職した。修行ということで他のホテルへの出向も経験した。しかし、半年もしないうちに関係会社の新規
事業ということで、青森に滞在することが決定した。もちろんホテルにまったく関係の無いが青森ならではの「リンゴ」関連の仕事だ。
当時、
ビジネススクールを卒業した直後の私にはプライドがあったと思う。「
経営学」を確実に知っているという自負のようなものだ。しかし、青森での仕事に「
経営学」は必要なかった。生まれてはじめての雪国での生活、そして「リンゴ」というまったく未知の分野での仕事。新規
事業を軌道に乗せるためには、多くの地元農家の方との信頼や協力なくしては無理だった。それでも困難な道のりが続いた。その時、「
経営学」を知っているというプライドを捨て、恥を知ろうと考えた。その結果、数限りない失敗を繰り返し、多くのものを得ることができた。
私は青森滞在時代も毎日、懸命に頑張った。しかし私の頑張りよりも多くの方々の協力や、失敗から得た教訓が新規
事業の成果を加速させた。
頑張っても運命だけは変えられなかったが、冷静に受け入れた
青森滞在から約2年後、ホ
テルチェーン本体は
会社更生法によって事実上、倒産した。今のように
民事再生法は無く、創業家はホテル運営にまったく関与できない。ちょうど
バブル崩壊と同じ頃だ。いずれにせよ、その瞬間に私が子供の頃から抱いていた祖父のホ
テルチェーンを継ぐという夢は消え去った。
倒産の報道は、当日の夜19時の
NHKのトップニュースとなった。私と家族は静かにTV画面を眺めるしかなかった。そして、自問自答した。「これが自分に与えられた運命なのか」と。
ただ、運命として受け入れられたとしても、どういう意味を持って、こんな人生を歩めと天は私に試練を与えたのか私には理解できなかった。
しかし、懸命に頑張っても、多くの人々の協力を得ても、運命というものだけは突如として人生を大きく変えるとその時、私は悟り冷静にそれを受け入れた。そして新たな夢を探す旅が始まった。
そして、「リンゴ」関連の新規
事業からヒントを得て、緑化・環境関連の
事業を父と弟と始めた。私は青森で引き続き
事業を継続し、父と弟が京都で顧客開拓した。もちろん、誰一人として経験者はいない。給料無しの生活が2年近く続いた。
あきらめることと決断することは違う
再度、山田氏の記事を下記に引用する。
「『あきらめるな』とよく言います。だから誰でもあきらめさえしなければ夢がかなうような気がしてきますが、そんなことはあまりない。頑張れば何でもできると思うのは幻想だと僕は思う。成功した人にインタビューするからそうなるのであって、失敗者には誰もインタビューしないじゃないですか」
私は、ホテルマンへの道が完全に途絶えた時でも、ホテルマンになることを「あきらめなかった」。数名の方から
ヘッドハンティングのような形で誘いを受けた。しかし、父と弟が懸命に京都で顧客開拓をしていることを知っていた私は、ホテルマンではなく緑化・環境関連
事業の道を選ぶことを「自ら決断」した。
事業を開始し、3年目の頃、それなりの実績を残すことができた。そして
ベンチャーキャピタルからの投資を受け、私は社長に就任した。
社長就任後、過去と同様、多くの方々の損得勘定無しの協力や応援、そして小さな失敗の積み重ねから得られる教訓、そして日々の努力で何とかここまでやってきた。ただ、今まで様々な新規
事業を展開してきたが、
事業として今も継続しているのは僅かに過ぎない。これはその
事業を継続することを「あきらめた」のではなく、やめることが会社にとって最善策と「決断」した結果だ。社長が持つ多くの職責の一つに「決断」がある。換言すれば社長の職責に「あきらめ」は無い。
決断することで得られるものは多い。しかし、あきらめることで得られるものは、つかの間の休息だけで、他には皆無に近いと私は思う。もちろん、あきらめさえしなければ成功するとも私には思えない。人生はそんなに単純ではない。
ただ、今までの紆余曲折の人生を振り返って言えることは、多くの人々の協力や支援が絶対に夢の実現には必要であると共に、刻々と変化する運命を純粋に受け入れる心構えがあってこそ、やっと夢は頑張ればかなう土台ができあがると私は確信している。そして、単純にやめる、あきらめるのではなく、「やめる、あきらめることは決断すること」と理解し実行することも必要だと私は思う。
今、多くの方々にお世話になり、お会いしている。あの時、ホ
テルチェーンが倒産し、その事実を運命として受け止め、あきらめることなく今の仕事を私が行うことを決断しなければ、お会いすることはまず無かった人々ばかりだ。
私は成功者では無い。恐らく一生かかっても成功したとは思わないだろう。ただ、夢の実現とは、100m走のゴールに1位で到着したような終わりと同じように思う。
頑張られ夢が実現したと思っている方々は、別の視点から見れば、既に終わりを経験されている方なのかもしれない。それはそれで不幸なことにも思える。
きっと、本当に夢を実現した人は、それは夢の一つにしか過ぎず、新たに夢を追い求め続けるのだろう。その本能を持った人、そして私が思う上述した条件を持つ人が成功者になり得る人の一つの形と言えるのかもしれない。
そんな人は本当に稀有だと思う。だから頑張るだけでは何も実現しない程、人生というものは無限大の可能性を持っているのだろう。その無限大の可能性を山田氏は理解して欲しいと警鐘を鳴らされていることこそが本質であり本当に言われたかったことなのだと私は思う。
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近藤さん、あなたは社長をやめるべきだ」
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