ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

コップの中の嵐と外の嵐の大きな隔たり

昨日の朝の出来事  昨日、通勤途中に通る郵便局の前に10数台の車が停まっていた。パトカーも一台。そして通勤途上で何度もパトカーや警官を見かけた。  リンク先である地元の「京都新聞記事」はいつか消えると思うので、見出しだけ引用する。
郵便局に刃物男、局長抵抗し軽傷 山科、男が逃走
 記事によると午前7時50分頃に、出勤してきた郵便局長が男に刃物を突き付けら、脅されたが、局長が抵抗し、逃走したとのこと。まさに通勤時間帯の出来事だったようだ。  昨日は、事件をふまえ、子供たちが通う小学校は臨時に集団下校した。そして、現在も未だ犯人は捕まっていない。今朝、子供たちが登校する周辺には先生方だけでなく、多くの保護者や地域の方々が見守っていた。下校時も同じだろう。  いつまで集団下校が続くかわからない。またいつ犯人が捕まるかもわからない。ただ、子供たちは、多くの人々に見守られ登下校するしか手段は無い。 コップの中の嵐  少し視点を変える。  数日前、ある党の代表が、突如として辞意を表明された。自分が任命した役員が自分の意見に賛成しなかったこと、このままでは自分の党は選挙に勝つことができない、自分の党は政権担当能力が無いといった理由だ。僅かに自らが代表として存在することが党へ迷惑をかけると曖昧な表現はされていたようだが。  私も小さいながらもベンチャー企業の社長、いわば会社の代表である。自分の意見が他の役員に反対されることなどは何度もある。株主にも反対されることもある。しかし、反対されたからといって、翌日に「辞める」など言うこともできず、かつ考えたことも無い。それほど「辞める」ということは口に出すことは簡単なようでも、極めて重みのある言葉だと私は考えている。  また、もしどうしても「辞める」と決断した時、「辞める理由」が、役員が自分の意見に賛成しなかった、自分の会社は競争力も成長性も無いといった内容であるはずが無い。「お前は子供か!」とステイクホルダーに笑われるだけである。  通常なら、一笑に付する行動も、ある党の役員の方には一大事だったようだ。何とか必死に説得し、役員が言うことを聞かないと断言した自分の党、企業で言うならば自分が社長であるにも関わらず他人事のように自社に能力は無いと断言した場所に、言うことを聞かないと名指した役員の説得によって舞い戻ったと同じだ。  何ともおかしな話である。これこそ「コップの中の嵐」(Storm in a Teacup)というのではないだろうか。茶番劇を見せられただけで、我々、庶民の日常生活には何の変化もない。  また、視点を変えてみる。  ある事務次官経験者が、仕事のストレスを発散させたいとの理由で数年間に渡り、休日に100回以上もゴルフをしていたとのこと。なかなか体力のある方のようである。  ストレス発散のためにゴルフをされていた同じ時間に、所属する部下の方々は灼熱の中、海外で危険にさらされながらも、与えられた任務を黙々と果たされていた。また地震や台風などの自然災害が発生した際、部下の方々は、懸命に救助活動を続けられていた。  自分の行政区域で地震が発生したから、疲れてストレスがたまってゴルフをする知事がいるだろうか。部下が危険と背中合わせで常にストレスの極限状態にあることを知りながら、ゴルフをやり飲み食いするトップがいるだろうか。  極めて常軌を逸脱している話である。ただ、極論であるが、次官経験者が、部下の方々が懸命に努力されている最中にゴルフ三昧の日々を過ごしていたことを露呈させるために国会で時間を要していくら論議をしたところで、我々、庶民の生活に変化は無い。  党代表の茶番劇、常軌を逸している次官経験者の行動など、マスコミやワイドショーでは賑わうかもしれない。ただ、繰り返すが庶民の実生活に影響は皆無だ。  これも「コップの中の嵐」ではないだろうか。 コップの外に暮らす大多数の庶民  先に書いた、昨日早朝の郵便局長が襲われた事件。恐らく同様の事件が今も日本のどこかで起きているのだろう。そして、見えない恐怖を感じておられる方も多いだろう。  いくら、先生方をはじめ、地域の方や保護者が子供たちの登下校を見守っていただいていたとしても、不安は消えない。しかし、これ以上、どうすることもできない。  また、こういった事件は連鎖的に発生する可能性が高いと私は考える。新聞記事を見て、「それじゃぁ、俺もやってみるか」と思う人間の存在を否定できないということだ。  我々、庶民は、こういった日常レベルで発生する事件について、恐怖や悲しみを感じ、味わっている。これも「嵐」の一つなのである。しかし、「コップの中の人々」から、何らかの助けを得たことは一度も無い。また助けて欲しいと願ったこともない。  今回、辞任を撤回されたある党の前の代表は、私の地元が地盤である。彼の政策に完全に賛同はできないが、人間としての清廉な部分に少し魅力を感じている。しかし、彼の「ウェブサイト」を見ると、10月7日は一日で29箇所の運動会を回ったことが報告されている。この忙しさでは「コップの外の人々」の本当の思いを感じることはできないだろう、残念ながら。  いつの日からかわからないが、「コップの中にいる人々」の「コップ」は曇って外が見えなくなってしまっているのだろう。そして、晴れる日も来ないのだろう。これでは外で「嵐」となっていてもわかるはずもない。  「コップ」を変えるには「コップの中の人」を変え無ければ無理だ。今のままでは変わりようも無ければ、中からコップを割ろうという人もいないように見える。  結局、「コップの外の人々」が「コップ」を変えるか壊すしか方法は無いのだろうか。ただ、変えても壊しても、「コップの中の人々」の本質が変わるとは、どうしても思えないことに虚しさを感じると共に、今以上に、中と外の人々との隔たりが拡がっていくことに虚脱感を覚える。  もし、郵便局の強盗未遂犯人が、私の子供たちや彼ら彼女らの友人達に被害を与えた時、誰に助けを求めれば良いのだろうか。もちろん、自らでやれることはやりきるが。  「コップの中の人々」は手を差し伸べてくれるだろうか。それとも、コップの中からは見えないのだろうか。あるいは、知らぬふりで終わってしまうのだろうか。  このように考えてしまうこと自体がおかしい話であり、豊かな国でありながらも、悲しい国に既になってしまっているのではと私は思う。 ※「ベンチャー社長ブログトップ10位へ ※「特選された多様な起業家ブログ集へ ※「新進気鋭アーティスト:鉄人Honey、下記画像をクリック」