ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

大阪の皆様、青森の人を暖かく受け入れてください

 3日前の連休明けの火曜日17日に、私宛に電話が。

 私が20歳代後半から30歳代前半の数年間、青森滞在時代に公私共にお世話になった方からでした。

「小島さん、毎度様です」と青森の方。

「おぉ、これはこれはAさん、毎度様です」と私。

(「毎度様です」とは青森独特の挨拶で京都の「おおきに」のようなもの)

「で、どうしましたか」と私。

「いや、実は大阪に行く用事があって、是非とも小島さんにも会いたいなと」と青森の方。

「もちろん、いいですよ。で、いつでしょうか?」と私。

「19日を予定しているのです」と青森の方。

(標準語で書いていますが、実際の会話は津軽弁です。)

 19日と聞いて、来月8月19日と思った私は、パソコンのデスクトップにあるカレンダーを見て、日曜日と確認。

「来月19日は日曜日なので大丈夫ですよ」と私。

「いやいや、今週の19日、急だけど」と青森の方。

「はぁ?」と私。

 こんな感じで何度か会話を続けながらも、青森時代にお世話になり、2日後にわざわざ、そして10数年ぶりにお会いできる機会と考え、19日16時にお会いすることに決定。

 そして昨日19日当日。最寄のJR山科駅でお世話になった青森の方と、同じ会社の方もう一人と私の計3名が合流し、近くの第一事務所(ファミレス)で久しぶりの双方の近況報告を。

「いやぁ、小島さん、全然、変わってないなぁ」と青森の方。

「そうですか。もう10年経って、私も40歳ですよ」と私。

 そして、いろいろとお話を聞いてみると、お世話になった青森の方は、以前の仕事を辞めて、青森の新しい会社に入社されたとのこと。その青森の会社が、大阪に進出することが決定。お世話になった方が数ヵ月後に大阪の支店長になる予定で、今回、最初の視察に来られたとのこと。しかし、関西で知り合いと言えば私のみなので、少し、大阪での商売について聞きたく、私と会ったわけでした。

「まったく、関西で商売されたことないんでしょ、御社は?」と私。

「そうなのよ、だから小島さんにいろいろと紹介してもらいたくて」と青森の方。

「関西人の紹介はいくらでもできますが、なかなか受け入れてもらうまで時間がかかりますよ」と私。

 青森と言えば、普通の人は「リンゴ」・「ねぶた祭り」くらいしか思いつくことが無いはずです。津軽地方にある「弘前市」をまだまだ多くの人は「ひろまえし」と読むと思います(正解は「ひろさきし」)。

 私は青森に滞在していたため、そして青森から東北各地を営業していたため、青森や東北地方について違和感も無く、逆に共感している部分があります。しかし、もし私が青森に滞在しておらず、まったく東北の各県に馴染みが無い場合、「京都に青森の企業が進出」と聞いても、「大変だろうな、何か農業関係かな」ぐらいにしか思わないでしょう。

 排他的・閉鎖的な京都に、これまた基本的には内にこもりがちな青森の人が進出しても、いくら優れた技術やサービスがあっても、なかなか馴染むことは難しいのが現実です。結局、「人との繋がり」が最後には成功か失敗かの鍵を握っていると私は考えるからです。

 ましてや京都進出も困難な状態で、これまた「大阪」という懐が深く、京都と電車で30分程しか離れていないにも関わらず、文化もまったく違う場所で、青森の企業が商売することは非常に難しいのではと、青森から来られたお二人に話しました。

 もちろん、できる限りの協力はすると約束はしました。

 そして、19時に再度、お会いし、第三事務所(今回は地元の宮崎地鶏屋さん)で、話を続けました。

 今回、昨晩の21時に「車」で青森を出発し、大阪に到着したのが今日昼過ぎということで、一睡もされていないとのこと。しかし、商売を始めるための機械等を運ぶ必要があったため車での移動を決意されたそうです。

 ちなみに青森のお二人は共に50歳代。しかし、何とか一日でも早く、大阪で仕事を始めたいとの決意があふれていました。お二人が所属されている青森の企業の社長は、青森県内で仕事を続けていても、限界があるため、詳しくは書けませんが、たまたま大阪に良い物件があったため、かなりの投資をされて、物件を確保されたとのこと。

 第三事務所で、19時からスタートした会合は、結局、深夜1時頃まで続きました。最初はできる限り標準語を話されていたお二人も、もちろん途中から、完全な津軽弁へと変化していました。ただ、会社の代表として「大阪に進出する」という決意は固く、私も何とか尽力できればなと心に誓っていました。

 お話では、青森から数名が大阪に行き、大阪での商売を軌道に乗せようという予定なのだそうですが、私は「大阪で大阪人を採用した方が良いですよ」と言いました。やはり、地元の人を採用しないと、なかなか大阪での商売は難しいと私は考えているからです。

 それ以外にも、いろいろと私なりに思うことを言い、二人は宿泊先へとタクシーで帰っていきました。

 そして、なぜか翌日である今日も、もうちょっと話がしたいとのことで、打合せをしました。

 私は、米国留学から帰国後、一年も経過していない時点で、ある理由で「青森」という見知らぬ土地で、まったく未知の世界である「リンゴ農家の皆様」をお客様として、数年間、過ごしました。リンゴ栽培について学び、津軽弁という英語よりも難しい言葉を何とか体得しました。そして、ふとしたことで出会った、今回、ご紹介した青森の方に、いろいろと青森の有力な人々を紹介していただきました。

 青森滞在時、「何で京都の人がわざわざ青森まで仕事に来ているの?」という雰囲気が初対面の地元の方から、言葉には発しなくとも、私には伝わってきました。ただ、まだ30歳前後の私には若さがあり、様々な苦労がありましたが何とか乗り越えることができました。

 今回は、私の青森滞在時代の逆です。だから、青森人が大阪で商売する際の苦労も想像がつきます。また、同じように見知らぬ土地で商売を始め、自ら顧客開拓などをされてきた方にも、今回の話は想像がつくと思います。見知らぬ土地、見知らぬ文化での商売、生活には大変な苦労が伴います。

 50歳を超えた二人の青森人を筆頭に、まったく知り合いや協力企業も無い大阪で、商売を開始することになります。恐らく極めて大変な苦労を重ねられると思います。私もできる限りの協力はしますが、残念ながらまったく分野が違うビジネスで限界があります。

 大阪の皆様、あと数ヶ月以内に、青森の企業が社運をかけて、大阪で商売を始めます。是非とも、暖かく受け入れていただきますよう心よりお願いいたします。

 本当によろしくお願いいたします。

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