ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

人生の変遷と共に:私の仕事着(七変化)

 まだ、朝晩(ベンチャー企業の朝は極めて早く、晩は極めて遅いのです)は、寒さを感じる時期ですが、日中はかなり暑くなり、仕事着も薄手のものに変えています。ただ、現在、我々の会社では、制服(通勤用・現場用)があり、私も通常は制服を着て仕事をしています。  もちろん、訪問相手によっては制服で商談するには不具合が生じる、失礼にあたる場合もあり、やはりそれなりの格好に着替えます。  しかし、今までの私の過去を見つめ直すと、仕事や人生の変遷と共に、仕事着も変化し続けている感があります。 最初はホテルマンとして  私が米国留学後、最初の仕事場は出向先のホテル。レストランでウェイターに似た仕事をしていました。それなりの高級フレンチレストランでしたのでソムリエもいれば、ウェイターの格によって、制服も違いました。しかし、基本的にはいわゆる黒服のようなものでした。 (この当時の写真はまったくありません、残念ながら。以下から七変化の一部が始まります。) ホテルマンから突然、青森へ  その後、会社命令で「青森」へ。生まれて初めての一人暮らしがアメリカでしたが、それ以上に一人暮らし、そしてビジネスをすることで苦労した土地が「青森」です。何といっても「英語」よりも難しい「津軽弁」。当初はもちろん話すことは不可能、相手が笑えば、とりあえず自分も何を言われているかは分からずとも笑う。そんな日々が続きましたが、1年程してようやく、何を言っておられるのかについては理解できるようになりました。  当時は、当社製品「樹木の味方」の開発が終了し、販売段階にありました。販路は皆無であり、津軽の方々にとっては、かなり違和感がある「関西人」であることをビジネスに活用しました。20代後半の何も分かっていない時だから、できたのかも、あるいは、やったのかもしれません。  お客様はリンゴ農家の皆様。当初は実績も皆無で、ご自宅での事前アポイントなどするはずもなく、リンゴ畑周辺を車で移動しながら、畑で作業されている農家の方を見つければ、すぐに飛んでいって、商品を説明。そして、了解を得た後、リンゴの枝や病害部分に私が商品を塗布し、その後の経過を見て、良ければ購入いただくという極めて地道な営業を重ねていました。もちろん車で東北一円も営業に行きました。  その当時、リンゴ畑にお邪魔する際に来ていたのが、ダイエーで買った「ブレザーとグレーのズボン」。リンゴ畑で突然、お邪魔するには目立つ格好を、ということで、あえて「スーツ」に似た服装を選んだわけです。もちろん、畑で商品の実演をするため、汚れてしまいます。ただ、ダイエーの「ブレザーとスーツ」は、気軽に洗濯ができ、あまり汚れも気になりませんでした。 (写真は最近、私の車で撮影したもので、青森滞在当時に欠かすことのできなかった四輪駆動車ではありません。) 「毎度様です。ちょっと新しい塗布剤の紹介で回っておりまして」と私(津軽地方では「毎度様」が「こんにちは」と同じになります)。 「何? あんた大阪の人?」と農家の方。 「はい、京都から来てます」と私。 「ありゃまぁ、なんで京都からわざわざ?」と農家の方。 「いやいや、人生、いろいろとありまして」と私。  こんな感じで、畑で目立つスーツを着て、関西弁で商品説明を続けること数年。もちろん、実演ではなく、塗布試験や本格的な講習会の実演などでは、それなりに汚れても良い、農家の方々にとっても違和感の無い格好をしていました(この格好に至るまでに2年を要しましたが)。 (写真右側の背中姿が若かりし頃の私です。)  いずれにせよ、今となっては貴重な思い出であり、ダイエーのブレザーとグレーのズボンは、ほとんど着ることはありませんが、今も現役で活躍が可能な状態ではあります。 (涼しくて、着やすくて、本当は商談でもこれらを着たいのですが、ほとんど無理なのが現状です。) 京都にて、七変化始まる  ホテルマン、青森時代を経て、それなりの様々な出来事に遭遇し、生まれ故郷である「京都」で今の事業を本格的に開始しました。 (こちらが緑色のジャンパーという我々の基本制服。環境教育として樹木と人間との関係を説明している社員です。) (上の写真の環境教育事業を行っている際にTV取材を受けている私の格好です。「木のお医者さん」ということで、青森滞在当時には予想もしなかった七変化の一つです。) (こちらは、樹木診断を行っている私の後姿。パソコンによって解析され、刻一刻と変化していく診断結果に目を離すことができず、すっかり蚊の大群にやられた私でした。)  私は、基本的に緑色のジャンパーという制服で商談や打合せを行います。もちろん、何度かお会いした方との場合だけです。しかし、異業種交流会やプレゼンの時などに、たまに制服で出席することもあります。いわゆるスーツ姿が多い交流会やプレゼン会場で、制服姿は印象に残ると同時にやっている事業とも合致し、その後の商談なども円滑に進むことも少なからずあります。ただ、残念ながら、まだ「恥を捨て切れていない」私は、一人で制服を着て新幹線などに乗ったことはありません。やはり、「何か恥ずかしい」という気持ちが残っているのでしょう。情け無い話です。  換言すれば、この「制服を着ても、どんなところでも、一人であっても何も恥ずかしくない」という気構えができれば、あるいは何の違和感も覚えないような人間になれば、私も経営者として、僅かですが小さな階段の一つを超えるのではないかと私は考えます。 他のビジネス界にも異変発生か?  「おおた葉一郎様は温暖化でスーツ2シーズン制はどうか」と提案されています。以下、おおた様のエントリの引用です。
私も、現在、スーツの2シーズン制に移行中なのである。ちょうど5月中旬をもって夏に切り替え。そして11月中旬から合物へ移行し、冬物は現有資産の減価償却に合わせて滅却ということになりそうである。
 温暖化の影響かどうかはともかくも(もちろん10年後は該当する可能性は捨て切れませんが)、標準的な温帯地方では、おっしゃる通り、5月中頃に夏服へ、そして11月に入れば合物、その後、少し寒ければコートや重ね着で対応、というのが現実的だと私も思います。また冬物は、夏物や合物と比較して、実際の着用可能期間が短いため、冬物投資は実行せず、現有資産を少しずつ償却(恐らく定率法か?)していくことは極めて妥当な行為と私も同意します。 (おおた様の仕事場での七変化を見たい気もありますが・・・) 人生や仕事に何らかの変化を  いずれにせよ、立場も変われば、人生も変わり、その時々に私の仕事着は変化してきました。できる限り、変化し続けていくことと、企業の成長は少しは比例するのではというのが、私の経験から感じることです。今回、仕事着の変化を例に挙げましたが、仕事着以外にも何らかの目に見える変化を続けていくことは人生にとっても、仕事にとっても、必要なこと。あとは、「人それぞれの変化」を見つけていく努力を怠らないことが重要だと私は考えます。  ちなみに「こちら」がもっともビジネスマンらしい私の姿です。夏場は大変ですが。  では、業務再開としましょう。 「私も参加している起業家ブログをクリック下さい