ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

木村秋則氏の「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀」出演に思う

 無農薬・無化学肥料でリンゴを永年、栽培されている自然栽培農家「木村秋則」氏。昨晩の時点で、「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀」に第35回:2006年12月7日に「奇跡のりんごは 愛で育てる~農家・木村秋則~」と題して放映される旨が掲載されたため、木村秋則氏の無農薬リンゴ・リンゴジュースを「自然栽培リンゴ農家:木村秋則さんのリンゴ・リンゴジュース公式通販サイト」にて販売しているサイト運営の代表として多くの皆様に番組を見ていただきたく、私のサイトでもご報告いたします。 (「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀」のリンクポリシーが不明なためリンクはしていませんことをご了承下さい。) 木村氏との出会い、そして青森時代  私が木村氏と出会ったのは1993年の冬。今から13年程前のことです。私の父親が大手ビジネスホテルチェーンの常務で、1990年頃、全国の各ホテルの巡回で、青森県弘前市にあるチェーンのホテルに行き、そこでリンゴやリンゴジュースを納品していた木村氏と出会いました。そして、リンゴ栽培で最も被害の大きい病害の一つである「フラン病」(病原菌によってリンゴの木が腐ってしまい、腐朽が急速に蔓延し衰退していく病気)に木村氏も困っているとの相談を受けたのですが、農薬を使用できないため、ワサビの抗菌作用を活用した塗布剤の開発に木村氏と父は着手。そして約3年後に製品化に成功。長男である私がこの塗布剤の販売・営業を青森で一人で開始したわけです。それが1993年の冬です。 (94年1月頃に塗布剤の工場建設で休憩中の私(写真右)と木村氏) ※「大峰様」ありがとうございました。写真左を写真右に修正いたしました。  雪国という初めての場所で私は生活を開始しました。当初の唯一の知り合いが木村氏でした。津軽弁に格闘しながらも、木村氏の紹介で様々な方々と出会い、商品の営業を少しずつ広げていきました。一緒に北海道の余市に行ったり、東北各県を車で何日もかけて泊りがけで回ったりと、塗布剤の販売に木村氏も協力いただいきました。  しかし、それよりも、多くの方々と毎晩のように酒を酌み交わし、酔いつぶれた木村氏を介抱する役目を当時、最も若かった私が引き受け、木村氏の奥様に車で向かいに来てもらうよう連絡し、「いつもスイマセンねぇ」という言葉を奥様が残され、大雪が降る中、去っていく軽自動車を見送るという何度も繰り返されたシーンは、今も忘れることができません。当時、木村氏は40代半ば、そして私は20代半ば。20年近く、年は違えど、愚痴をこぼしたり、その愚痴を聞く相手の一人が若い私だったのかもしれません。  逆に、娯楽も無く、そして人脈も少なかった当時の私は良く木村氏の畑に通っていました。そこで木村氏や奥様とお茶を飲みながら、世間話をすることで私なりのストレス発散の場になっていたのではと今では思います。農作業の手を休め、1時間ばかりの世間話にわざわざ付き合ってもらったことを改めて感謝しています。  青森滞在時代に私は結婚し、5人の子供の中で2人は青森時代に生まれました。初めての雪国生活、そして誰も知り合いがいなかった妻にとっても、木村氏を囲む皆様に、様々な場所に子供たちと一緒に連れて行ってもらいました。ただ、飲み会になるとあまり妻は居心地が良さそうには見えませんでしたが、これもまた良き思い出の一つでしょう。 木村氏の毎日、そしてリンゴの出荷  木村氏も一般の農家の方々と同様の生活をされています。早朝に畑に出かけ、朝食のために一度、自宅に戻り、また畑へ。そして昼食後、少し昼寝をし、日が暮れるまで農作業。このような毎日を土日、関係なく一年間続けられます。  ただ、秋の収穫時期以降、忙しさは加速化します。農作業と出荷を並行させねばならず、深夜までの作業です。毎年、木村氏から年賀状をもらいますが、いつも到着する時期は1月半ば。リンゴに正月は関係ありません。収穫後、冷蔵庫に保管したとしても少しずつ変化していくリンゴ。出荷作業は休みに関係なく続けなければならないのです。  毎日、スーパーで並んでいる農作物。リンゴも今、どこのスーパーでも各地の品種が販売されています。また農作物のネット販売なども盛んに行われています。ただ、「農家」という職業の方々にとっては、工業製品のように、注文に応じて生産調整することや一定の在庫を確保しておくことなどは基本的に不可能です。  我々は、スーパーで、毎日、並んでいるリンゴや他の農産物などを「欲しい時に欲しいだけいつでも買うことができる」と錯覚しがちです。しかし、農産物の裏側には、一年間、休みなく農作業と出荷作業を同時に行っている農家の皆さんが存在し、一度の台風や気象災害で、一年間の苦労が一夜にして消えてしまうというリスクを常に抱えられているということを忘れてはならないと私は考えます。 スローライフスローフードなんて作り手には関係ない  昨今、スローライフスローフードなどといった言葉が散見されます。そしてロハスといった言葉も。一時期はこれらの「言葉」の代表の一つとして木村氏のリンゴや彼のスタイルそのものが位置付けられていたことがありました。スローライフスローフードといったモノを享受するのは大抵が作り手・担い手ではなく、簡単に品物を手に取ることができる消費側。作り手や担い手は、何年も前から同じことを繰り返しているだけです。しかし、ちょっとした、単純なきっかけから、「いつもの作業」や「作り出したもの」が、スローなスタイルに見え出し、スローなモノに変化していく。作り手も消費側も、明確な理由は分からず、モノの変化や見方に踊らされていく。これが今の日本の現状ではないかと私は考えます。  木村氏にしてみても、何十年も前からやり続けてきたこと。私が青森に滞在していた頃は、自然栽培のリンゴの収量は比較的、安定していました。防除(虫除け)のための散布剤として木村氏は「酢」を大量に使用されます。業務用の少し濃度が高い酢です。しかし、当時は「農家」ということだけで、商社と取引が出きず、私の会社が仕入れて木村氏に渡していました。当時はまだまだ失礼な表現ですが無名で、かつ「無農薬栽培=病害虫発生源」というレッテルが深くは語りませんが、まだまだ残っていました。  時代の変化と共に木村氏を見る眼が変わってきたことは事実でしょう。しかし彼の栽培方法や自然に対する思い入れは何一つ、今も昔も変化していません。 もう、「そっと」してあげて下さい  昨年、9月6日付けの全国紙夕刊に「土に学んだリンゴ作り」と題され、木村氏の記事が掲載されました。記事掲載直後に、当時も唯一、通販サイトをオープンしていた我々にネットで検索された方々からの電話が殺到しました。そして、過去に何度も木村氏を紹介していた私のこのweblogにも多くの方が来訪されました。その後は、ネットで各品種を販売するごとにすぐに完売という状態です。今年も同じ状況です。  この1、2年の間、多くの方々の依頼で、木村氏は様々な場所で講演や指導をされています。その間は、奥様が一人で畑を守られ、出荷作業を続けられています。リンゴ畑の見学も多数あり、結局はほぼ丸一日、作業ができません。10数年前から木村氏と交流している私としては、栽培指導以外は、木村氏に負担がかかるため、もうこれ以上、やめればどうかと何度かお話しています。  木村氏の戦場は、各メディアの場でも講演会場でもありません。彼の戦場は、「彼が何十年にも渡り、農薬が無くてもリンゴが結実するように変化したリンゴの木であり、リンゴ畑」なのです。彼の戦場で、彼だけが、リンゴや自然と向き合い、闘い続ける時間を減らすことの危険さを理解していただければと思います。そうでなく、今の状況が続けば、「本末転倒」の時がやってこないとは言い切れません。 奇跡のリンゴだからこそ多くの方々に  「茂木健一郎 クオリア日記: 奇跡のリンゴ」と題して、NHKプロフェッショナルの司会をされている茂木氏が11月3日付けて木村氏との対談の感想を書かれています。以下、一部引用です。
木村さんの気が遠くなるような畑仕事の ことを思い、  それゆえに可能になった奇跡に感謝し、 ぼくは目の前の木村さんに言った。  「木村さんのリンゴ、ネットで売り出すと 10分で売り切れてしまう、ということですね。 でも、もっと高くしていいですよ!  産直で、一個300円じゃなくて、 600円取っても、1000円取っても いいですよ! 都会の住民からはね、 それくらい取ってもいいんですよ!  それでも買う人はいますよ、このリンゴ。  それで、ロールスロイスでもベンツでも 乗ってくださいよ、木村さん!」
 おっしゃる意味合いは分かります。理解もできます。しかし、私はネットで10分で売切れてしまうサイト運営の当事者で、私なりに思うことがあります。  誰かがどこかで、いつか名付けた「奇跡のリンゴ」。この言葉が独り歩きし、木村氏も把握できない程、様々な場所で様々な値段で販売されているという事実があります。すでにコントロールできない状態といっても過言ではないでしょう。  今年のリンゴの値段をどうするか、秋の収穫時期前に木村氏や奥様と相談しました。木村氏は一貫して10数年来、価格を大きく変えておられません。なぜなら、「せっかく懸命につくったリンゴだから、誰でもが買うことができる値段で多くの人に」というスタンスだからです。  「奇跡のリンゴ」と名付けられた今だからこそ、「誰もが買うことができる、誰しもが納得がいく値段で多くの方々に食べていただくこと」を変えないこと。このことが大切という考えは、私も同感です。  逆に「奇跡のリンゴ」で滅多にしか手に入らない貴重品だから、「買い占めて高く売る」という誰しもが考える行動は、結局、いつか破綻に陥ると私は考えます。そういう世界と正反対の場所にいる方が木村氏です。そうでなければ、何年間もリンゴを収穫できない間を耐え抜くことをできたはずがありません。  耐え続けた時に支えた彼の友人やお客様、十数年も前から少しばかり高くとも木村氏のリンゴやリンゴジュースを買い続けた方々の協力や応援があったからこそ、今の木村氏が存在していると私は考えます。  最後になりますが、これからも末永く木村氏のリンゴ栽培を支えたく、できる限り、重複になりますが「彼の戦場であるリンゴ畑という舞台」で、できる限り、毎日、闘う時間を確保することができるよう、これからは静かに応援していただければと僭越ではありますがお願いしたいと存じます。  サン・アクト株式会社 代表取締役 小島愛一郎 ※「ベンチャー企業社長ブログトップ10位へ」 ※「特選された起業家ブログ集トップ10位へ