ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

ある公園での言葉と想い

 日曜日に5人の子供たちを連れていつもの近くの公園へ。様々な言葉が公園では飛び交っていた。 三男坊の言葉  公園のブランコは青・ピンク2つずつ。娘はピンクに常に乗りたがる。しかし三男坊・四男坊という先客がピンクのブランコを独占していた。娘は四男坊にブランコを代わってとお願いする。しかし、四男坊は「嫌!」と言う。そこで三男坊が言った。
ブランコは逃げないよ。 いつも公園にあるよ。 一人でぶらぶらとしながらね。
公園で遊んでいた他の子供たちの言葉  公園では次男坊の同級生の子供たち4名、そして私の知らない子供たちが3名程度遊んでいた。見知らぬ子供たちが「うざい!」・「死ね!」といった言葉を冗談交じりに話していた。  「うざい」という言葉は関西では使わない。関西人で使う最も近い表現は「うっとおしい」だろう。少なくとも私が学生の頃、「うざい」という言葉は使わず、知りもしなかった。私の子供も「うざい」という表現を家庭でしていた記憶は無い。  「うざい」なんて言葉を関西の子供はなぜ知っているのか。少し、想像は付くが、はっきりとしたことは分からない。 長男の言葉  ブランコの次は「滑り台」。娘だけは一人で遊ばせるには、まだ危険な年齢。長男を筆頭に全員で固まって滑り台から滑るような遊び方をしていた。いや、私が長男に、「危ないからみんなで滑り台で遊んで」と頼んだというのが事実だ。  途中、娘だけが滑り台の上で、少しふらふらと危ない状況に。すぐさま長男が言った。
だめよ、だめだめ。 自殺は駄目。 危ないからね。
 そして長男は娘をしっかりと抱きしめた。  私が小学生高学年の時に「自殺」などという言葉を発した記憶は無い。恐らく「自殺」という言葉さえ知らなかったのではないだろうか。長男に「どうして自殺なんて言葉を知っているの?」と一瞬、聞こうかと思ったがやめた。  数時間の公園での遊び。しかし様々な年齢の子供たちが様々な言葉を発している。その会話の隙間に僅かばかり、世相を反映した、あるいは無意識のうちに日常の会話の一つになってしまった「言葉・単語」がある。  私の時代と違い、情報は様々な場所で得られることができる。また私や親の知り得ないところからも情報は発信されている。情報源を無くすことは無理であり、情報の取捨選択が可能になるリテラシーを持たすことも一朝一夕では無理な話。  ただ、日々の子供たちの何気ない会話の「言葉」一つ一つに静かに耳を傾けることで、少しは彼ら彼女らの変化を見抜くきっかけになるかもしれない。そして、我々、親も何気なく話す「言葉」を少しは選びながら発していく必要があると、公園で遊ぶ子供たちを見ながら考えていた。 高校生の履修漏れ事件  まったくこのエントリに関係ないが、単独エントリにするには私なりの情報源が無いということ、そして言う立場に無いため少しだけ雑感を書く。  これから履修漏れに該当する高校生は補習やレポートを書くことで卒業への道を歩むとのこと。私は、「学ぼうという意欲が無い科目」について、卒業や大学へ進学するためだけに時間を割くということは、無意味だと思う。「世界史」という教科ではなく、どんな教科でも意欲が無い状態で学べば時間の無駄になるということだ。せっかく時間を割いても記憶にも残らないのではと思う。そして「先生方も積極的に教えようという意欲も無いのでは」と思う。きっと、このことは誰しもが、そして高校生自体が理解していることなのに、大人のやり方が押し付けられている。  最後になるが、専門的な知識を学びたい、あるいは専門的な資格を取りたいなどの明確な意志を持っている高校生は大学や短大などに進めばよいと私は思う。進むべきかもしれない。ただ、「漠然と大学に行く、大卒でなければ」としか思っていないのならば、大学には行かなくても良いと思う。親に言われたとしても。ましてや「進学校」というレッテルを高校という組織が持ちたがっているだけなら、大学なんて行かなくてもいい。  大学に行っていなくても、大学を卒業していなくても、豊かな人生を歩んでいる人を私はたくさん知っている。そして、これだけは断言できる。「有名大学に行ったからといって良い経営者になれることは無い」ということを。私がその最たる良い例だ。 起業家ブログ:下記バナーを是非ともクリック下さい。
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