ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

MOTTAINAIは、世界中には通用しない

私のサイトでも「MOTTAINAI」については、何度か書いてきましたが、ふと、「本当に世界中に通用するのか?」という疑問が沸いてきました。

ノーベル平和賞を受賞されたマータイ女史が来日された際に、日本の「もったいない」の心と環境保護を結びつけ、世界に広めると約束されました。「もったいない」という言葉は、世界に誇ることができる日本の精神文化とマータイ女史も認められたということでしょう。

しかし、世界中に、この「MOTTAINAIが通用するか」という点については疑問に思います。

「もったいない」とは、ミクロ的には、今ある自分が持っているモノを捨てずに末永く使い続けるということ、量り売りのように、欲しい分量のみ買うといったもの。マクロ的には、大量の廃棄物等を単に焼却するのではなく、資源エネルギーとして再利用しよう、といった感じでしょうか。マクロ的な観点からは様々な企業努力や技術によって、コスト収支が図れつつありますが、まだ完全にバランスが取れている状態ではありません。

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私が疑問視している根拠は、「何も持っていない」という人々が未だに世界中におられるということ。捨てようにも捨てれば最後で他に何も無い。買おうと思っても、買う場所さえない人々。換言すれば、今日一日の生活を、あるいは、今日一日、どうやって生き延びるかを毎日、考え続けなければならない人々が、まだまだ大勢、おられるということです。極めてミクロの次元で、「これは、もったいないから捨てずにもう少し使おう」という意識、気持ちすら持つことのできない方々。

少し論点がずれますが、前回のG8サミットではアフリカ支援も主要議題に挙げられました。多くのアフリカの国々では、「もったいない精神」と言われても、「何も持っていないし、捨てることもできないよ」と答えが返ってくるでしょう。逆に、先進国こそ「もったいない」ことばかりやっているじゃないかと切り返されるに違いありません。

どうやって、アフリカを始め、「何も持っていない方々」をマクロ的に支援していくかについては、基本的には国家が考えることであり、個人がどうすれば良いかについては、明確な答えは無く、今回の私のエントリの論点ではありません。

ただ、日本が誇ることができるであろう精神文化「もったいない」。この言葉を世界に広めることに異論はありませんが、「もったいない」が通用しない国々、人々が多数、おられることを忘れて、押し付けのような形で、日本は「もったいない」という世界に誇れる文化を持っているから、他国の皆さんも、どうぞ日常生活に取り入れてくださいといった安易な考えは危険であると私は考えます。

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最後に。

「もったいない」も、日本の精神文化を示し、他国には無い表現かもしれません。「もったいない」は英単語にもないから、「MOTTAINAI」として広めようとマータイ女史は考えられたとも言えます。

しかし、それよりも「みっともない」という言葉を他国に広めていただければと私は考えています。

「みっともない」という表現がぴったりと当てはまる事象が様々に起こっている日本を象徴する言葉として、自戒を込めて。日本が、かつては持っていたであろう「恥の文化」。

「もったいない」が通用しない国々でも様々な犯罪や汚職などはあるでしょう。しかし、犯罪の奥底が日本とは少し違うのではないかと私は考えます。もし、「もったいない」が通用しない国の方々が日本に来られたとき、散乱しているゴミ、なぜかいつでもどこでも携帯電話の画面ばかり眺めている人々、そしてコンビニの前に座り込み食べ散らかしている若者を見れば、かなりの驚きを示されるでしょう。

こういう時の表現を「みっともない」と日本語では言うのです、と伝えるべきでしょう。換言すれば「みっともない」を世界中に広めるならば、日本に来ていただくことが一番、近道ということ。

今一度、「みっともない」という言葉を考え、自分も含め、身の回り、そして社会全体が「みっともない」方向に確実に流れていることを多くの方々が自覚すべきだと私は考えます。