ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

負の心のスイッチを防げ

これはメディア論でも何でも無い。単に子供を持つ一人の親として、思うことである。

昨今、幼い子供たちが痛ましい事件の被害者となっている。

そして、遺族や友達、関係者の方々も被害者と言える。

犯人が一刻も早く捕まることを私は否定しない。当たり前の話である。

しかし、毎日、ネットや新聞、そしてテレビなどで、様々な報道がなされている。

事件があった場所に「複数の足跡が残っていた」

複数の血液型が見つかった」

「手首と口にテープ痕があった、無抵抗か」

「犯人の汗か? DNA鑑定へ」

「腹に複数の刺し傷が」

司法解剖した結果・・・」

「猟奇的犯行か?」

そして、幼い子供が遺族や友達と別れを告げる式までもが放映される。

そこまで、全国民に向けて伝える必要があるのだろうか?

こんなことを新聞やテレビで毎日のように伝えることで、犯人はすぐに捕まるのか?

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もし、自分の子供が行方不明になった、殺害されてしまったとしよう。

考えたくもないが。

新聞の記事を見て、捜査が進展していると私は、安堵するだろうか。積極的にテレビをつけて、今、世間ではどのように報道されているか私は、確認するだろうか。

私は、そうは思わない。恐らく新聞もテレビも、もちろんネットさえつながないだろう。

いくらマスコミが報道を自粛すると言ったとしても、自宅の周りに見知らぬ人が一人でもいれば、私は、マスコミと思うかもしれない。一人でも、百人でも、人数なんて、まったく関係の無いことだと私が当事者になったなら思うだろう。

私は京都に住んでいる。

しかし、当たり前のことかもしれないが、北海道から沖縄まで全国各地で報道されるだろう。もしかすれば、寝転がりながらテレビを見ている人がいるかもしれない。そんなことを想像すれば、「寝ながらテレビを見る暇があれば、京都まで駆けつけて少しでも何か協力すればどうなんだ!」と思うかもしれない。

いや、そんなことを思う余裕も、皆無なのが現実かもしれない。

そして、犯人が捕まった時。

新聞もテレビも、雑誌も、すべてが様々な表現で報道するだろう。

良く使われる表現かもしれないが、失われた命は戻ってこない。

しかし、新聞もテレビも雑誌も、様々な形で現物が残る。過去のものとして、将来にわたって。そして、また新たに同じような事件が起きたとき同じ繰り返しが行われる。そこでも被害者も加害者も、そして報道された内容そのものも、常に残り続ける。

もし、十数年後、偶然、どこかで過去に報道された記録を見た場合、私は、どんな気持ちがするだろうか。

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少しだけ話を変える。

JRの脱線事故が起きた際も様々な報道がなされた。今、世間の注目を集めている耐震強度偽造問題でも様々な報道がなされている。これらについても過剰な報道は存在している。そして、いずれの事件も、被害者も加害者も存在している。

しかし、被害を起こした側や行政は、報道という波によってそれなりの様々な対策を講じた。効果があったか、評価できるものかどうかはともかく、そしてもちろん報道だけで動いたわけでもないと思う。あるいは、耐震強度偽造問題においては、改めて業界が襟を正す姿勢が生じる可能性もある。もちろん、氷山の一角に過ぎず、いつ発覚するか今もおびえている人々や企業もあるかもしれない。しかし、これも一つには、報道という波が引き起こしたもの。

いずれにせよ、これらの事件についても、被害者の方々も、そして加害者のいずれにおいても、様々な報道を、知りたくも、見たくも、聞きたくも無い人が必ず存在していると思う。

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しかし、今回の一連の幼い子供たちへの事件は、まったく違う意味があると思う。

もちろん、いずれの事件にも、何度も言うが被害者も加害者も存在している。しかし、連日の、そして過剰な報道を耳にする、目にする人々の中に、これらの報道の波によって、彼らの心の中に潜んでいた「負の心のスイッチ」が押されてしまう危険性があるということ。

暴論、極論、そして異論もあるかもしれない。しかし、潜在的に犯罪者に成り得る可能性のある人間が、報道の波によって、顕在化する可能性が無いと、完全に言い切ることはできないと私は思う。

現実に、報道だけでなく、事件が起きた周囲の子供たちには、上述した「負の心のスイッチ」と正反対の「心のスイッチ」が入り、様々な思いをしているのではないだろうか。もちろん両親たちも。そして、この「心のスイッチ」は、全国に伝播しつつあると私は思う。

報道の波によって、「負の心のスイッチ」が押され、それが現実にならないことを私は願う。

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