ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

頼むぞ、そして、ありがとう、心より。

先程、用事があるため、車に乗っていたところクラクションが。現場に向かう社員からでした。

今日は、午前中はある庭園樹木の「散布作業」。病害虫対策のようなものとご理解ください。そして、午後からは樹木の調査。この調査に出かける途中に私と社員の車はすれ違ったわけです。

今までにそれこそ何百回と樹木の調査を実施しているのですが、今日は少し意味合いが違います。

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少し話を我々の仕事の紹介とします。

我々は、「衰退した樹木を環境に配慮した様々な資材・手法によって回復させる」という事業を展開しています。人間がケガをしたり、風邪をひくといった感じで、樹木にも内科・外科的な被害が存在し、衰退樹木といっても様々な意味合いがあります。

人間の場合、具合が悪いと思えば、病院に行き、診察を受け、投薬してもらい、必要であれば手術、あるいは入院といった流れになります。しかし、樹木は歩くことができないため、我々が現地に出向き、現状の調査を実施するわけです。

実は我々の仕事は、「調査依頼」を受けた段階で、回復作業の受注がほぼ確定します。「調査単独」という調査後、調査報告書を提出し、料金をお支払いいただき終了というものもありますが、多くは、まず無料で調査を実施します。

調査実施後、調査報告書と共に、見積も提出し、契約、そして回復作業着手、という流れになるのですが、「調査を実施」した段階で、ご契約を頂戴できる可能性は9割近くという今までの実績があります。よって、上述したように「調査依頼」があった段階で、ほぼお仕事を頂戴できると言えるわけです。

この事業を始めた当初は、樹木の回復実績はもちろん皆無でした。樹木が回復するには少なくとも一年は必要です。結果が出るまでに一年を要するわけで、事業発足当初は、ほぼ一年程度はお客様も半信半疑で、我々もまったく給料が出ない程の状態が一年以上、続きました。

しかし、約一年後、樹木が答えを出してくれました。見事に樹木は回復しました。半信半疑だったお客様も、眼前に満開の花を咲かせている、あるいは以前とは比べようも無い程の葉の増え方を見て、一本の樹木の発注から、「それじゃぁ、この樹木もお願いする」といった形で、庭園の樹木それぞれの回復作業を発注いただいたり、他のお客様をご紹介いただくなど、徐々に拡大してきました。

結果が出るまでに最低、一年は必要な衰退樹木回復事業。換言すれば、一度、発注いただければ一年から二年は継続して受注が見込めるということになります。そしてこの過程で同じお客様から他の庭園樹木の発注を途中でいただければ、さらに継続して仕事を頂戴できることになります。

そして事業発足当初とは回復手法も飛躍的に変化し、大学との連携や最新の測定機器を保有するなど、ニッチな市場ではありますが、このような継続的な受注形態であるため、何とか今まで事業を継続することができました。

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さて、話を今日の現場調査に戻します。

実は、我々の社員が色々と試行錯誤し、京都のかなりの老舗でかつ大手の建設業の会長様に我々の事業の説明を数日前にする機会を得ました。その場で社員は会長様に半日近く、熱心に話続けたわけです。

そして最後に、会長様は、「そこまで言うのならやってみよう。まず私の庭の百日紅の面倒を見てくれるか。私が納得すればどんなことでも協力する」という一言を獲得しました。

上述したように、我々の事業は、調査依頼を受ければ、ほぼ受注が確定します。しかし、今回の調査は、受注云々ではなく、会長様が我々の「業」を試しておられるわけです。もちろん百日紅が回復することは前提かもしれませんが、それには早くとも半年は必要です。今回は、回復結果ではなく、我々の仕事に対する姿勢を試されているわけで、現地調査後、調査報告書を速やかに提出し、そして回復作業を実施する。これらの過程・流れ、そして我々の態度・気概を見たいと思われているわけです。

回復結果には半年以上が必要です。しかし、回復作業実施までの過程は数週間。この数週間、誠心誠意、いや今までのお客様と同じ姿勢で対峙していけば、今回の現地調査は大きな拡大を見せる可能性があります。

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現地調査の開始時間は本日15時です。ちょうど、今頃、半日かけて会長を口説き落とした社員が百日紅の調査を始めている頃でしょう。恐らく調査は問題なく終了し、週明けには私宛に報告があり、速やかに報告書を作成し、大きな前進が見込めると思っています。そして私は、会長様に御礼のご挨拶をすると共に、今回、がんばってくれた社員にも「ありがとう」と言葉をかけるつもりです。

今、このエントリを書いている際に思い出したことがあります。

あの時も祝日の出来事でした。私の携帯へある社員から報告がありました、「○○寺、受注しました」と。皆さんもご承知の「清水の舞台から飛び降りる」で有名な日本を代表するお寺です。今でこそ、その後も何度もお仕事を頂戴していますが、当時は我々にとって大きな目標でした。

今、何となくこの昔の祝日の出来事が、今日の今の私の気持ちと重なっているような感があります。

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さて、最後になりますが、半日をかけて会長様を口説き落とした社員が私宛に書いてくれた文章をご紹介します。彼は大学卒業後、数年間、他の造園業者で修行し、その後、入社した青年です。

庭師になりたかった私は、

京都で庭師の修行をしていました。

あの頃は、毎日が発見と感動の日々でした。

庭造り、剪定、そして掃除。

苦しくもあり楽しくもあり。

あの頃は、一日も早く一人前になりたくて仕方がありませんでした。

しかし、今思えば、ただそれだけでした。

それだけだったような気がします。

なぜ、それだけだったのか今でも分かりません。

ただ、先人が残した技術と知恵、そして遊び心。

これが私の、向上心の原点です。

この会社に入っても、私はまだまだ向上の真っ只中。

毎日、樹木の保護をすることで少しでも向上できればと、

私は常に思っています。