ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

大人心、競争心、そして子供心

週末の土曜日は三男・四男、そして5番目でありながら長女、この3人の子供たちが通う保育園の運動会でした。三男にとっては最後の運動会。来年は小学生ということです。

保育園の運動場ではなく、長男・次男が通っている小学校のグランドでの開催なので本格的な運動会となります。長男からお世話になっている保育園なのですが、長女が無事、保育園を卒業するまでを考えると、15年以上のお付き合いをこの保育園でさせていただくことになります。恐らく保育園の歴史上でも稀有な例でしょう。

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さて、土曜日はもちろん家族全員で運動会に出かけたわけですが、上述したように三男にとっては最後の運動会です。そして、三男のクラス(ばら組)が運動会の主役となるわけで、プログラム上でも何度も登場していました。

そして「ばら組」は、毎年、「ばら組保護者のみ」のリレーがプログラムとしてあるわけです。「ばら組」のお父さん、お母さんのいずれかが、大人だけでリレーをするという、運動会の最後で二番目に位置付けられているそれなりに盛りあがるプログラムなのです。

もちろん、保護者リレーがあることは覚えていたのですが、「三男最後の運動会=保護者リレーの当事者」という重大なる事実はすっかり忘れていました。当日になって、「私が走るのだな」と気付いたわけです。

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少し私のことを書きましょう。

私は、今はともかく、小学生時代から足が速く、運動神経が発達していた部類に属していました。京都府の小学生の100m競争でも府のベスト10に入るほど足が速く、中学・高校とそれなりにスポーツ関係では目立つ存在で、リレーでも常にアンカーでした。高校生の時に足を怪我してから、ハードなスポーツとは縁遠くなりましたが、大学時代はボランティアで子供たちとキャンプに行くなど、基本的に社会人になるまでは常にスポーツ・アウトドア関連で楽しくやっていました。

このような背景があるため、我が息子たちには、常に「お父さんは足が速いんだよ」と自慢していました。もちろん「走るのが速くなくても大丈夫だよ」という意味合いも込めての自慢です。特に高校生時代に歩けないほどの膝の怪我を経験していますので、「走る」ということには、「速い・遅い」共に実感しているため、「速く走ることのできない気持ち」というものもある程度は理解していると私は思っています。

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さて、運動会に話を戻します。

運動会当日、「保護者リレーに走る」ということを気付いた後、わざわざ昼休み時に小学校のグランドを離れて、隠れて足慣らしの意味を込めて、付近の道路を走りました。こっそりとやっていたつもりなのですが、どうも第三者から見れば必死だったようで、案の定、保育士の先生に見つかってしまいました。「お父さん、気合入っていますね」と言われたのですが、その通り、気合十分でした。何といっても子供たちの前で、父親が走るところを見せることができる数少ない場、そして単純にリレーで勝ちたいという競争心からでした。

(しかし、保育士の先生に見つかったときは正直言って、恥ずかしかったですが。)

さて、保護者リレーの時間がやってきました。私はアンカーではなく、最後から二番目くらいの走者でした。「ばら1組・2組」でリレーを競いあうわけですが、私の息子は「ばら2組」。リレーが開始され、私が走る頃には「ばら2組」は大きく1組をリードしていました。

このような風景は毎年、見られます。お父さん・お母さん共々が参加するため、偏見ではありませんがお母さんが多いチームほど、リードされてしまいます。そして、あまりにも差がある場合は、勝っている走者が適当にゆっくりと走るなど、差を縮めるわけです。いわゆる「大人の配慮」というものでしょう。

私の場合もかなりのリードがあったため、過去の事例に合わせて「大人の配慮」をしてしまいました。ゆっくり走り始めたのですが、半分ほど過ぎて後ろを振り向くと、後ろの走者が迫ってくるのが見えました。「これは大変!」ということで、後半は真剣に走り、「抜かされる」という最悪の事態だけは避け、最終的に我が2組が僅差で勝利を得ることができました。

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さて、リレーを終えて、子供たちが待っている席に戻ると、「お父さん、真剣に走っていないじゃないの!」という想像もしていなかった子供たちの非難の声が。彼らにとっては父親の走る姿を見ることを楽しみに待っていた同時に、どれほど速く父親が走るのか興味津々だったのでしょう。

しかし、リレーでの私は子供たちの気持ちをすっかり忘れ、「大人の配慮」という行動に出たわけです。もし私が小学生であったなら、いや高校生であったとしても、やるはずがないであろう、「気の抜いた走り」をしてしまったわけです。

子供たちの立場からすれば、後半の私の走る姿はともかくも、最初から最後まで「真剣に走る父親の姿」を見たかったに違いありません。換言すれば、前半の私が走っている姿は小学生の息子たちからしても「真剣に走っていない」と映ったわけです。

大人心からすれば、リードをある程度、なくすという「大人の配慮」は否定はできないことでしょう。しかし、人間が本来持っているであろう「競争心」、そして「リレーは最初から最後までどんな状態でも真剣に走り抜く」という基本、そして父親が走る姿を心待ちにしていた「子供心」。

大人心も必要です。しかし、それを上回るものが競争心であり、子供心であるということ。これらの大切さを再確認、いや久しぶりに気付かされた一日でした。もう同じ失敗はこれからの運動会ではやりませんが、良い経験が得られた貴重な日となりました。

何事もそうですが、やってみないことには何も得られない。失敗を恐れ、やらなければ失敗から得られる大切な事柄もわからない、いつも社員に言っていることを私自身が忘れていたのかもしれません。

そして最後に一言。

「息子たちよ、お父さんが悪かった、ごめんなさい。」