ザリガニを死なせてしまった
昨日は社外取締役と20時頃に打ち合わせを開始し、帰宅したのが夜中の2時前。
いつものように自室に入り、メール確認など、少々、疲れ気味ながらもすべきことを終了。
そして、ベッドのすぐそばにあるザリガニ専用水槽を見ると、ザリガニが死んでいた。
見た瞬間、私は眠気も疲れもふっとんだ。
たかがザリガニが死んだ話と思われるかもしれないが。
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過去記事である「ゆっくりと味わう時代へ」で私はこのように書いた。
さて、話は変わりますが先週の週末に近いある日、家に戻るとザリガニが入った虫かごがありました。アメリカザリガニではなく、日本のザリガニです。誰が採ってきたのか聞いてみると、小学4年になった息子のようです。小学校で一年間、生き物を観察しようというテーマがあるそうで、早速、息子はザリガニを近所で捕まえたそうです。そこで、早速、日曜日に息子とザリガニ専用水槽を作成しました。砂利や石をしいたり、エアーポンプを設置したりです。息子も今まで何回も同様のことをやっているのでお互い、手馴れたものですぐにできあがりました。あとは数日おきに水を替えたり、餌をあげれば一年間、水槽の中で育ち続けるでしょう。
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この記事を書いたのがちょうど4月半ば。長男の新学期が始まった頃。
4月から長男は何度かザリガニの観察をしていた。
他の子供たちも毎朝、競い合うようにエサを与えていた。
先週末に、長男には、これから暑くなるので、次の日曜日くらいには最後のザリガニ観察をして、川に逃がそうと二人で話し合っていた。
そして話し合いながら、ザリガニの水槽の水を入れ替えたり、エサを与えたりと。
その後、近くの森で虫採りに行き、クワガタやカナブンがまた新たに我が家の仲間となった。
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ザリガニが死んでしまったことについては、思い当たることはある。水質や気温など。
しかし、原因が何であれ、ザリガニは死んでしまった。
もちろん、近くの川に行けば、ザリガニをもう一度、捕まえること、
そして、そのザリガニを続けて飼育することは容易なこと。
しかし、長男が4月から今まで観察し続けたザリガニは、二度と戻ってこない。
同じザリガニを見つけるなど不可能な話。
最後のザリガニ観察は、もうできない。
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通勤前に長男にザリガニの話をしようかと思った。
しかし彼は、既に夏休みの宿題中。
とても話すことができる状態ではなかった。
いつか彼に話をしなければならない。
ザリガニが死んでしまったことを。
そして、私のミスで死なせてしまったことを、明確に伝えなければならない。
それも、できる限り早く伝えなければならない。
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再度、言おう。
たかがザリガニが死んだくらいで何を書いているんだと思われるかもしれないということを。
しかし、このエントリを読んでいる方々自身が、まだ子供だった頃のことを思い出して欲しい。
誰でも虫採りに行き、誰でもザリガニ釣りをしたはずだと思う。
そして、学校の宿題や授業に関係無く、毎日、エサを与えたり、観察したことはあるはず。
そんな生き物達が、朝、起きたら死んでいた、という経験もしたはず。
そして、そういった生き物達の生死を見て、無意識のうちに生命という存在を感じた人もいれば、生き物が大好きになり、その道を一生の仕事として選んだ人もいるはず。
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どのように息子とザリガニの死について話すかはまだ決めていない。
うまく話を切り出せるか、息子がどんな反応を示すか、考え出すときりが無い。
ただ、言えること。
平日に息子たちが起きている時間帯に帰宅できることは通常は無い。
しかし、今日だけは彼が起きている頃に、必ず帰る。
そうでなければ父親として失格ではないかと私は思う。
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今、台風の大雨の中、それでもセミは泣き続けている。
それほど、生き物というものは自然の中で生命力を持っている。
そんな生き物を人間の都合で飼育することで、簡単に命は奪われてしまう。
結局、こんなことを息子には伝えるのだなと、今は考えている。
そして、命を奪ったのは息子ではなく私であるということを。