ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

環境保護と環境保全の違い

世間では、「環境保全」と「環境保護」という二つの言葉が存在していますが、何が違うのでしょうか。日本では「自然環境保全法」というものがありますが、どちらかといえば、ある自然物に対する規制・指定の根拠の一つといった扱いに過ぎないと私は思っています。

環境問題というものは非常に難しく、例えばダムを開発する際に、「森林を守るためダム建設反対」という立場もあれば、「電力供給のためにはダムは必要なので建設するが、周囲の森林管理は常に行います」という開発側の立場もあれば、「ダム建設によって、森林がなくなると結局、雨などで土砂が流れ出し、海や河が汚れるから反対(魚つき林とも言います)」という漁業関係の方々の立場などこれはもうきりが無い程、様々な立場や考え方が存在しています。これは環境問題に限らず社会問題でも見受けられることでしょう。また、「環境保護団体」と名乗っていても、根本的な思想が違うため両者で争うことも、しばしば生じます。

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法的に定義されていないと思いますが、「環境保全」・「環境保護」の位置付けは様々な説があります。ただ、「保全」・「保護」と切り分けてみると少し見えてきます。例えば「事故現場の保全」=「事故原因を明確にするため、事故直後の状態にとどめておく」といった形で「保全」とは、その状態を維持することが基本といえます。「保護」は簡単な話で、守るということになります。例えば我々は衰退した樹木を回復させる事業を展開しているわけですが、これは樹木を保護することで保全しません。保全してしまえば最後には枯れてしまうからです。

ところが上述したように、世間では「環境保全」と「環境保護」がまだまだ曖昧な位置付けのままです。そして様々な思想が入り乱れています。なぜなら「人間が自然を守ってあげよう」という考えと「自然のために自然を守ろう」という大きな発想の違いが存在しているからです。

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さて、ここからは私の持論です。思想といってもよいかもしれません。「保全」・「保護」に関する諸説は知っていますが、それをご紹介する必要は少なくとも私のブログ上でする必然性を感じませんので。

私は「環境保全」とは、今ある現状を維持するものだと考えています。維持するためには最低限、人間の努力は必要でしょう。例えば、その自然地域に誰も侵入しないように(自然地域から出ないようにという考えも含め)柵を設置するといった、第三者から見れば後ろ向きのスタンスです。換言すれば、現状維持が目的なので、その自然地域で貴重な種が死んでしまっても、これは自然の摂理、生態系から見た自然淘汰と考えます。ここでの議論では、地球温暖化による生態系への影響などは無視して話を進めています。

よって、「環境保全すべき地域」は、できる限り人間が入っては駄目だと思っています。屋久杉を観光地にすることに反対といったようなものです。もちろん、屋久杉の地域には様々な工夫がなされていることは知っていますが、基本的には人間はできる限り関与すべきでないと考えます。屋久杉や尾瀬などは、もちろん観光という経済的視点も必要ですが、ここでの議論ではこれまた無視させていただきます。

逆に「環境保護」とは、人間が積極的に保護していくものであると考えています。それこそあらゆる技術を用いて、貴重な自然をできる限り良い方向に改善していくという立場です。我々の場合、第三者にとって貴重・大切と思われている樹木を様々な手法を使って保護し、人間でいうところの健康体にしていこうと努力しています。

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私の持論はここまでとして、争点は、どこをあるいは何を「保全」し、どこをあるいは何を「保護」するかという区分の仕方にあると考えています。この観点に、上述した「人間が自然を守ってあげよう」という発想と「自然のために自然を守ろう」という考えが大きく影響してきます。

例えば、極論ですが、絶滅に瀕している種を人間の手によって絶滅の危機を救ってあげようというものです。別にその種が助けてと人間に頼んだわけではないのですが、「人間が自然を守ってあげよう」という事例の一つかもしれません。貴重な種であるから守るという論理も成立しますが、ここでは争点としません。

また、数百年の樹齢を持つ樹木があるとします。サクラなどの場合、積極的に人間が守ろうとします。なぜなら「美しい」と人間は思うからです。もちろん他にも理由は存在するでしょう。しかし、同じ年月を重ねた樹木があっても、それが誰も知らない樹種で目立たない樹木ならば守ろうという行動は少数派に属しているのが現実ではないでしょうか。いずれにせよ、これら二つの事例は人間が守ってあげようという発想が根本にあると私は考えます。

しかし、「自然のために自然を守ろう」という発想であれば、行動は大きく変わります。樹木の場合、「美しい」という主観のもとに守るのではなく、自然のためにあるいは地球のために必要かどうかという客観的な視点で判断が可能となります。もちろんこの客観的な基準も様々にあると思います。

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重要なこと。それは環境問題というものは、主観が入りやすい問題であるということなのです。河が「汚い」からゴミを拾う、この地域は誰が見ても「美しい」から守っていこうという発想になりがちです。そうではなく、客観的な視点に立ち、保全すべきか保護すべきか、あるいは保全・保護のどちらかが適切かなどを決定しなければなりません。重複になりますが客観的な基準は多々あります。ただ、感情的な視点から環境問題を考えるべきではないということが重要なのです。そして「人間が守ってやろう」という発想を否定はしませんが、この発想からスタートすべきではないと私は考えます。

人間が自然を守ろうとしても、いつかは無理が生じます。完全に守ることなどは自然相手には無理です。少し話はずれますが、お世話になっている大学の教授がいつも言われていることを最後に、ご紹介します。

(日本のサクラで最も植樹されているソメイヨシノソメイヨシノはクローンのため、病害に弱く、テングス病という枯死に追いやる病気に必ずと言っても過言でない程、罹病します。しかし他のサクラと違い、花のみが咲くので好まれているという歴史があることをふまえて)

先生曰く、

ソメイヨシノは植えるな。絶対に植えるな。

それでもソメイヨシノを植えたいというのならば、

毎日、それこそ昼も夜も一日中、

ソメイヨシノの世話をする覚悟があるのなら

ソメイヨシノを植えても良い。

覚悟が無ければ絶対に植えるな。

結局、ソメイヨシノは枯れてしまうのだから。

覚悟が無ければ植えた瞬間に、枯れる木を宿した犯人になるぞ

といつも言われています。

環境あるいは自然、生態というものは難しいものです。しかし、もし自分に子供が生まれれば、どんなことがあろうとも、どんな子供であろうとも、それこそ昼も夜も面倒をみます。様々な原因で育児が難しいご家庭が子供を生みにくい、生みづらいという状況と今回、ご紹介した教授の話は、強引かもしれませんが似ているのではと私は思います。

さて、最近、どうも中途半端な結論の無い、論文のようなエントリが多いと思っています。このような分野になるとあっというまに長文になり、途中で長すぎると思い、中途半端に終わってしまい、私自身、不完全燃焼のような気分になります。

(しかし、仕事が優先なのです。)

そこで、次のエントリはTea Timeに致します。ご容赦下さい。

さて、今ひとつ理解していないランキングサイトがあるのですが、皆様、試しに下記バナーをクリックしていただければと存じます。