キング牧師と人種の難しさ
昨日の米国の株・為替マーケットは休場でした。
なぜなら、黒人の公民権運動に貢献したキング牧師を称えるために毎年一月の第三月曜日は祝日に制定されているからです。
しかし、祝日に至るまでの道のりは長かったのです。レーガン大統領任期中に、米国全土・連邦として、休日にする法案がやっとサインされました。
あの有名な「I have a dream.(私には夢がある)」の演説が1963年にワシントンDCで行われ、翌年、ノーベル平和賞を受賞、しかし1968年に39歳の若さで暗殺された、それがキング牧師が残した足跡です。
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しかし、私が米国滞在時、アリゾナ州では、まだ州としては祝日にしていませんでした。
1993年にスーパーボウルがアリゾナのフェニックスで開催されることが予定され、これを機にして、やっとアリゾナ州も1992年に祝日に制定したわけです。
米国で最も人気のあるスポーツであるアメフトがきっかけとは、何とも言えない話ですが。
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私は、米国留学時代、まずワシントンDCに滞在していました。その頃の想い出には色々とありますが、
当時は大抵の方が、「ホンダ」の車に乗っていました。米国車よりもホンダのアコードなどがアメリカ車よりも良いと
米国の首都と言っても良い、DCの方々は考えていたからでしょう。
さて、その後、アリゾナ州でビジネススクールに通ったわけですが、そこでは、アリゾナでは、皆無と言って良いほど日本車は見当たらず、いわゆる米国車であふれかえっていました。
アリゾナという土地柄は、米国の白人文化を象徴していると言えなくもありません。気候が温暖なため、「サン・シティ」という55歳以上の引退された方々だけの街もあるほどで、ほとんどが裕福な白人の方々が住まれています。(約一千万円から4千万円程度の家が並んでいます。)
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さて、ワシントンDCでは、私も人種差別というものを経験したことは無かったのですが、アリゾナでは色々とありました。
私が住んでいたマンション(米国ではマンションなどと呼びませんがとりあえず)は、もちろんほとんどが白人でした。換言すれば、黄色人種は私だけといって良い状態でした。
ある日、ビジネススクールからマンションへ戻ったところ、
ドア一面にケチャップとマヨネーズが塗りつけられていて、
唖然としたことがあります。それはびっくり仰天というものです。
それまでにも、石を投げられたり、それなりの侮辱の言葉を投げつけられてはいましたが、看過してきました。しかし、「ドアのケチャップ・マヨネーズ事件」には、少し生命の危険を感じたため、引越しました。
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少し、話は変わりますが、ワシントンDCからニューヨークは、飛行機で1時間もあればすぐに行けますので、たま休みにはニューヨーク見物に出かけていました。
もちろん、日本人観光客はかなりの量でした。
そして、地元の子供たちが笑顔で
侮辱する言葉を日本人観光客に発し、意味がわからない観光客は笑顔で応える
といった光景が多々見られました。
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今回の私のエントリーは、黒人文化を尊重する、あるいは白人文化を批判するといったことが焦点ではありません。
超大国といわれ、人種のるつぼといわれているアメリカ。しかし歴史は短いアメリカ。かたや、歴史は極めて深く、長いが一つの人種で成立している日本。
日本が過去にアジア諸国に禍根を残した時代がありました。もちろんその逆もあったでしょう。そして、アジア諸国の方々は、まだ日本の動きに敏感になっておられます。
私が米国で体験したような差別。これは、
人種というものは、いくら月日を重ねても、他民族に対する意識は、そう簡単には変わらない、
ということを示唆している一例かもしれません。
それ程、人間、意識の根源というものは、深く、そして難しいものであると、キング牧師の休日を終えて、改めて感じた一日でした。
この問題だけは、どうしても私個人では解決できません。
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今日、国連防災世界会議が神戸で開幕しました。インド洋大津波・スマトラ沖の地震で、一つの目標を持って、各国が集うわけですが、少しでも民族を超越した「団結」が生まれることで、「人類が賢者」になっていくことを祈ります。