ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

競争社会を生き抜くために(2)

※コメントをいただいた方々のご意見をまず、お読み下さい。

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過日は、我が5人の子供達の中で、小学生となっている長男・次男のマラソン大会がありました。

マラソン大会があることは、前日の晩に、妻が教えてくれていました。そして、小学校からの「マラソン大会のお知らせ」も見せてくれました。

お知らせの中に記載されていた「マラソン大会の目的」、それは

長い距離を走ることの楽しさを味わう。

自分のペースで走ることを経験する。

という内容でした。

これらを、大会の目的と設定されていることに私は、非常に違和感を覚えました。

もし、私が「大会の目的」を保護者の方へお知らせするならば、

日頃、マラソン練習した結果の集大成を最大限、発揮する。

そして、できる限り本番で全力を尽くし、最後まで走り続ける。

といったような内容にすると思います。

少なくとも、オリンピックでのマラソン競技や、駅伝など、すべて練習の結果を本番で最大限、発揮し、できる限り、上位を目指す=競争、これは当たり前のことだと思います。

基本的にマラソンも含めスポーツというものの大半は、「競争であり勝つことに意義がある」と私は思っています。

もちろん、スポーツを楽しむことで、人間同士の交流や心の育成など、スポーツにも様々な要素があることは私も理解しています。特に小学生の時期などは、こちらの視点が大半を占めるでしょう。

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最近、OECD調査による日本の学力低下や、日本独自の調査で「学力」が落ち込んでいる傾向にあると話題になっています。

そして、その原因の一つとして「ゆとり教育」が挙げられています。そうかもしれません。一つの要因としては。

しかし、上述した、「小学校のマラソン大会の目的」、これは「ゆとり教育」とは直接的な関係は無いと思いますが、重複しますが、皆さんは違和感を覚えられないでしょうか。

換言すれば、「ゆとり教育」が設定された以前から、どこかの歯車が狂い始めたのではないかと私は思います。

私なりに思う理由を下記にまとめてみました。

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1)優劣をつけない、優劣によって子供を傷つけないという過大なアプローチ

私は、数年前、長男の参観日に行きました。

私が小学生だった頃は、先生は、男の子には「○○くん」、女の子には「○○ちゃん」と呼んでいました。時には先生が親しみを込めて、あだ名で呼んでくれた時もありました。

ところが、長男の参観日では、男女関係無く、出欠確認や、子供たちが先生の質問に挙手して答えるときも「○○さん、どうぞ」といった感じで、呼びかけていました。

男女関係無く、「さん」付けしなさいと、教育委員会からの指導等がいつの時点かは不明ですが、あったのだと思います。

また、小学生の運動会にも参加しました。

昔は、赤組・白組などに分かれて、点数をつけて、途中経過を午前中に子供たちに知らせて、午後に負けている組は、「がんばろー」という気持ちになり、最後に優勝した組が、本当に自然に「万歳!」を叫ぶのが普通だったと思います。

しかし、私の子供の小学校の運動会では、組には分かれていますが、例えば100m競争で1位、2位などの勝ち負けは無く、単に走り終えるのみでした。

結局、100m競争で最後になった子供がかわいそう、という配慮から、1位・2位といった勝ち負けをなくしたのだと思います。

これも教育委員会の指導なのでしょうか。

私は、小学生の頃、短距離が得意で、いわゆる運動会のメインイベントである「100mリレーのアンカー」をいつも任されていました。最終学年の6年のときは、アンカーである私が相手を抜いて、逆転優勝しました。

私は、このことを痛烈に覚えており、その後の自信にもつながっています。私に抜かされた相手側のアンカーの同級生には、その後も仲良くしています。私が彼を抜いたこと、そんなことで私の同級生は心に傷を負ったり、恨んだりしていません。

なぜなら、毎日、様々な競争・勝ち負けを「遊び」なども通じて、経験しているからです。

換言すれば、「競争・勝負」を日々、経験し、勝ち負けを体験していない子供たちは、一回、負けてしまうだけで、大きなショックを受けるとも言えます。

そんな彼ら、彼女らが、社会人になって、競争社会に突入した瞬間、例えば営業先で罵倒を浴びせられたら、人生にとって始めての挫折感ともいえる大きなショックを受け、最悪の場合、退職に至る場合もあるでしょう。

今、実際に入社して半年で辞めてしまう社会人が増えています。子供の頃から優劣をつけない、傷つけられないような環境で育ってきたことが、すぐに社会人という人格を放棄する理由の一つになっているのではと私は考えています。

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2)学校でも行政でも親でもない、「子供を取り巻く環境」が変わったことが原因ではないか。

私が小学生の頃にも「ゲームセンター」というものはありました。

ただ、ほとんどの同級生はゲームセンターでなく、自然の中で遊んでいました。

虫取りをしたり、山で、いろいろな木を集めて秘密基地をつくったり、あるいは下校の鐘がなるまで、友達とドッジボールで明け暮れる、そんな毎日でした。

しかし、「インベーダーゲーム」というものが、私の高学年の時に世間に出ました。その時点で、同級生の半分程度が、ゲームセンターに通い始めました。遊び相手が半分に減ったわけです。

これは、

子供達が「遊び場」を自分なりに探し、創り上げてきた時代から、

大人が「遊び場」を子供たちに与え始めた時代へ変化した、

という最初の出来事ではないかと私は思っています。

そして、現在、子供たちは大人達が提供する「遊び場」で遊んでいます。自分で遊ぶことを探さなくても、「遊び場」はどこにでもあるわけです。

私は、「遊ぶ」ということが、最も、想像力・創造性といったものを養うと考えています。

残念ながら、社会は、「遊び場」を提供しながらも、一方で、大切なものを子供たちから奪っているような気がしてなりません。

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いつの日か、そして誰にでも確実に訪れる「競争・勝ち負けを経験するという状況」。

私は、できる限り、人格が形成される時期から、

競争・勝ち負けを体験し、想像力・創造性を養う

この2点が必要だと思います。

そして、残念ながら、今の社会は、この2点に加速しながら逆行していっていると思えてなりません。

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最後になりますが、ここ数日、ほぼ外出しており、極めて、ブログ界から離れておりました。今、やっと様々なブログを来訪し終えたところですが、12月16日の「週刊!木村剛 powered by ココログ」様が「経済政策を語ろう!」というカテゴリで、「ゆとり教育でゆとりを感じているのは誰?」ということで記事を掲載されています。

しかし内容は、ブロガーのトラックバックの断片的な紹介だけに終始しておられ、かつ「経済政策を語ろう」といいながらも、木村氏の本件に関する持論はなく、かつ極めて厳密に言えば経済政策とは言えないという点からも、少し残念に思います。

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さて、今回のblog、かなり私の持論が入っていますが、少しは同意いただいた方は、「クリック」お願い致します。

ありがとうございました。

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追記:

多数のコメントを頂戴しましたが、「Win-Win」というブログを運営されているHikari様のコメントを「現場の方々の声」として、改めて掲載致します。

下記、Hikari様の私のエントリーに対するコメントです。

Hikari様、不都合があればご連絡下さい。すぐに訂正・削除致しますので。

Hikari様のコメントは下記からです。

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はじめまして。Hikariと申します。

今日の記事、大変興味深く読ませていただきました。

私はその教育現場にいて、みなさんから「大リストラに会わなければわからないんじゃないか」といわれている教師を仕事にしています。

子ども達にさんづけをするというのは、本当に上からの指導です。ものすごい違和感です。やめてくれ~と、多くの教師も子ども達本人も思っています。

かつてはクラスに40人いたら、40人みんなをあだ名やファーストネームの呼び捨てや、チャン付けで呼んでいました。その呼び名を何にしよう?と相談するのも、4月ごろの大切な関係作りの話題でした。それに、同姓はやたらといて、その子たちだけむやみにフルネームで呼ばれるのは苦痛を与えることでしかありません。

上は、呼び捨ては人格の無視だからと言います。

だったら、多くの親御さんは人格無視を生まれたときから続行していることになります。

子ども達は大切な顧客だと思いなさい、と言います。

大切だからこそ寄り添うにはどう呼ぶか。一律に押し付けられたやり方で済ましていいのか。

考えてほしいです。

競争をなくし、順位をつけなくなったのは、上からの指導ではありません。

保護者の要請です。

どうしてこれが正しく伝わらないのか不思議でなりません。心ある現場教師で、これがいいと本気で思っている人なんか、いないと知ってほしいです。

徒競走で1位にならなかったお子さんの親御さんが、学校に怒鳴り込んでくるんです。マラソン大会の成績が振るわなかった子の親御さんが怒鳴り込んでくる。

で、「子どもががっかりしてやる気をなくすから、運動会やマラソン大会はなくしてください。」なんて言うんです。

そういう行事が子供たちにとってどれほど大事か、学校はよく知っています。なくしたくないのです。だから、「順位をつけない」という方法で、行事の温存を図ったというのが、多くの学校にとって本当のところだと思います。

その怒鳴り込んできた親御さん方の価値観には、徒競走で1位になれないうちの子はダメな子だというのが根底にあります。来年に向けて努力を始めようとか、他の事で1位を目指そうとか、一時の負けが全体を決めるわけではないとかいう価値観がないのです。

多分、ここにお集まりの皆様なら、そんなふうには考えず、「徒競走がダメでもマラソンがある、マラソンもダメでもドッチボールが、サッカーが、野球がある。水泳もある。勉強でもいいし、お習字やピアノでもいいぞ。全部ダメでも、キミが元気で楽しければそのうち何か見つかるだろうから、一緒に探そうよ。」くらいには、考えてくださるのではないでしょうか。

私が教師になりたての頃は、そういう親御さんばかりでした。でも、バブルがはじけた頃から、「負けること=悪いこと」「できないこと=ダメなこと」という決めつけが親御さんのほうから学校へどんどん流れ込むようになりました。その前までは、学校の方が親御さんに「決め付けるな!」と叱られていたのに・・・。

ここが変わらないと、学校はうまく立ち直れないでしょう。ためしに、今いる先生を全部リストラして、新しい人材でやり直してみればいいんです。多分数年のうちに、同じ学校が再現しますよ。

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本当に「今、すぐそこにある危機」に様々な方々が遭遇されていると思います。