ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

スポーツは商品ではないと思う。

プロ野球問題、IT企業と称される企業二社が参入したとのこと。今年のこの問題は、「球団経営」といったマネジメントの問題が一つの要因であることは確かだと思います。

そして、IT企業が球団経営について、様々な方針を語っておられます。

「観客数の水増し」・「裏金」などの悪習を正したいとの表明。また、プロ野球活性化のために様々なアイデアを披露されています。しかし、通常の企業経営から言えば、ある事業部門で固定概念、慣習としてあったものを、異業種企業が新しい観点からビジネスモデルとして提議されているだけで、私としては、特段、「評価すべきこと」とはあまり思えません。

もちろん昨今、大手企業の不祥事が露呈化し、上場廃止など大きな社会問題化となっていますが、これも世間では、企業だけでなく政治や社会すべてにおいて、昔から良くあることで、私は、プロ野球問題とは今回は区分して考えたいと思います。ちょうど私が昨晩、ニュースを見ていて、非常に違和感を覚えたこと。ニュースなので断片的かつ象徴的なことだけが流されていることを前提として。

IT企業の方々は、自社が保有する強み、いわゆるネットでのチケット販売や、ネットでの野球中継、など既存のインフラを活用し、新しいプロ野球の見せ方を提示されています。また、グッズのオークションなど。

しかし、どうも私は、

日本の長年築き上げた文化といっても過言で無いプロ野球を「ネットの商品群の一つに過ぎない」

とお考えのような気がしてなりません。少しうがった見方かもしれませんが。

様々なアイデア・経営手法によって「球団としての経営」は黒字化、あるいは安定化の方向に向かうとは思います。これは、企業経営として、スポーツという特殊な業種ではありますが、不可能ではないと思います。

しかし、「日本の文化の一つ」・「エンターテイメント」として考えた場合、もちろん「球団経営が安定する」ことは、望ましいことですが、

「球団経営の安定」をファンが最も望んでいることなのか、そして「経営の安定」で長期的な明るい将来像を描けるのか

については、疑問に思います。

今回の一連の問題、「球団経営」が発端の一つであるとしてでもです。そして、将来のスポーツ文化を担う子供たちにとって、IT企業ならではの強みを発揮すること。それが果たして、どれだけ効果があるのか。

ちょうど今年のオリンピック。私も感動しました。時差の関係でどれが生中継で、どれが録画なのか、今一つわかりませんでしたが、いずれにせよ、日本選手がメダルを取った瞬間、あるいは取れなかった瞬間、それぞれ様々に興奮を味わいました。

柔道やレスリング、体操など通常の国内・国際大会はテレビで放映されませんし、ニュース・新聞でも、あまり大きく取り上げられませんが、なぜか夏・冬含めた両オリンピックでは大きく取り上げられ、感動・興奮をもたらします。(残念ながら、日本選手が優勝する可能性がある競技の放映が大半を占めていましたが)

そして家族で見ることで、その瞬間を共有し、子供達はスポーツ選手を目指す決意を固めたり、スポーツという一つの文化(ここでの文化という定義は少し違うかもしれませんが)を通じて、心・意識の中に何かを残す、あるいは変革の発端になるものだと私は考えています。

それほど、スポーツが持つ魅力というものは素晴らしいと私は思います。テレビドラマや映画・音楽も同様の魅力を持っていると思います。

これが、通常の業態である「企業が提供する各種サービス」と決定的に違う点ではないかとも言えます。換言すれば、それほど様々なステイクホルダーを持つ業種が「スポーツ経営」ではないでしょうか。

「ネットはスポーツを補完する」ことは可能だと思います。しかし、スポーツを含め、様々なエンターテイメントは、

「ネットではなく、本物を見なければならないもの」

だと私は思います。

映画も映画館で見た方が、絵画も美術館で見た方が、そして音楽もコンサート会場に足を運ぶ方が、「感動・興奮」は格段に違うと思います。しかし、今では、映画も絵画も音楽もネット経由で体験できる時代となってきました。便利な時代ではありますが、私はおかしな方向にならなければと少し危惧しています。

IT企業の経営トップの方々、まずは「球団経営の安定化」・「球団を保有するなら強い球団を」・「ネットを活用した新しいサービス」、ここまでは理解できます。そして今、世間に対して伝えるべき優先順位がこれらであることも理解できます。

しかし、これからのスポーツ文化を支えていく子供達。

少なくとも私の家族の場合、キャッチボールやサッカーボールの蹴り合いからスタートし、個々の子供達が興味があれば、野球を続けるのも良いですし、サッカーチームに所属することも良いと考えます。

そこには、「ネット」の活用や影響、威力などは介在しません。単に「遊び」から始まり、それが「興味」に変わり、そして、「やりたいこと」を見つけていく。これはスポーツだけではなく、絵を描くことや、音楽を趣味にすることにも通ずると思います。

昔は、このような流れだったと思います。そして可能であれば、これからも、そうあって欲しいと思います。子供達のこれからの人生の生き方において、「ネット」が最初の出会い、あるいは生き方・進路に影響を与える可能性が、今は少なからず無いとは限りません。

しかし、私の子供(まだまだ小学生前半ですが)が、パソコンや携帯電話の画面を通じて、スポーツ観戦に没頭している場面に出くわせば、すぐにでも公園に行って、キャッチボールなどして一緒に遊ぶはずです。

今回の私のエントリー、少し急いでおりますので、紆余曲折していますが、「ネットの活用」が球団経営の収益源になるとは私も同意します。しかし、「ネットの威力」で、健全なスポーツ文化・エンターテイメントが育成されることは決して無いと思います。

大半の方は理解いただけると思うのですが、果たして、IT企業の方々は、将来のスポーツ文化のことまで考えておられるのか、まだ私には見えていません。この問題を議論することからして時期尚早なのかもしれません。換言すれば、ネットをあまり活用しなかった今までの時代の方が、ある意味、健全なスポーツ文化が育まれるのではとも思います。

このような点から鑑みると、IT企業や既存企業の球団運営について、「健全なスポーツ文化の育成」という観点では、日本はかなり遅れているのではないかと思います。

過去にもエントリーしましたが、「日本は経済は一流でも、文化は二流と、諸外国で揶揄されてもおかしくない状態」が、未だに続いているのではと残念に思います。(スポーツ分野だけでなくすべてにおいてです。)

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私は、日本人の心が、これ以上、おかしくならないことを祈るばかりです。