ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

新潟中越地震、ある被災者の方の声

 これは、新潟中越地震被災された「現地の方からの生の声をメールにて頂戴したもの」を私なりにまとめ、ご本人から内容についても承諾を得たものです。ほとんど、「現地の方の生の声」となっておりますが、「現地の方からのご依頼」で、今回、私からエントリー致しました。また、今回の私のエントリーが「すべての被災地の方の声を共通しているわけでは無い」ことを予めご了承下さいませ。  そして私はジャーナリストでも何でも無く、色々と批判を受けるかもしれませんが、あえて「現地の方の声」の仲介役を担うことを決断したことについてもご理解下さい。ご承知のように、全村避難が続いている山古志村の方々。現在、「長岡市」で避難生活を余儀なくされています。  今回、ご紹介する方は、他の町で同様に被災されたのですが、ある事情で山古志村の避難所の一つに、現場責任者の裁量で例外的、一時的に収容されたとのことです。  私が今回、「ある方の声を経由し」、ご紹介する理由、それは、ある方の気持ちも含め
山古志村」ができる限り、早く復興することを祈念し、実現に近づくために、まず、地震発生時から今までの現状をお伝えしたい
ということに尽きます。  それでは、「被災者の方の叫び」をご紹介致します。「2004年11月15日まで」の状況です。少し長い文章ですが、お時間の許す限り、ご覧いただければ幸いに存じます。 注:以下、「私」とは「メールを頂戴した現地の方」を示しています。 1)救援物資の状況  基本的に、救援・支援物資は、現在、過剰な状態にあります。TVで多く報道されている「避難所として想像しやすい体育館」。しかし、山古志村の方々の避難所は、長岡高校と隣の大手高校、さらに併設されている各宿泊施設など全村の方々が分散しているのが現状です。 よって、それぞれの避難所の施設内容などの基本的な環境が大きく異なっており、救援・支援物資が過剰な状況にありますが、分配のあり方については一概とは言えない状況にあります。というよりも、そこまで体制が整っていないのが現状です。  なぜなら、窓口を務められている「山古志村役場」の方々(20人~40人規模)も被災者です。そして、すべての機能を長岡市の市役所の敷地内にある建物に移されたばかりなのでかなり苦労されていることも原因の一つといえます。しかし、各避難所には、パソコンやADSLなどが設置されているところが多く、私は、これらで各避難所をネットワーク化し、上述した救援・支援物資等を適切に分配する試みをしようとしましたが、今までネット関連について、あまり使い慣れていない地元の方々にとっては、残念ながら、この試みは実現しがたいのが現実でした。  よって、「救援・支援物資と各避難所のニーズの整合性や分配の手段については、まだ十分ではなく、早急に対応すべき状況」にあります。しかし、ほぼ復旧が進んだ被災地域においては、「行政同士の壁」といったものが、既に露呈してきており、各避難所で、「今、必要なもの」、そして「これから必要なもの」について、ネットワーク化等が充実しても、十分に期待できないのではないかとも思います。 2)心のケアと難しさ、そして村の復興へ向けて  山古志村は、本当に「最初の揺れ」で、土地や家を一瞬にして失われたそうです。今、「すぐにでも必要なこと、そして将来にわたり禍根を残す可能性があること、それは精神面でのケア」です。  小学生などは、まだ良いと思いますが、中学生以降のローティーン、ミドルティーンにとっては、かなり絶望的な村の状態や将来が理解できるようで、「無気力」になったり「精神年齢の低化のようなもの」が始まっているかのように見えます。既に、心のケアに関する専門家が活躍されるているわけですが、山古志の方々は、それを避けられるのではと思います。  「カウンセリング」を受けることを前向きにとらえることができる方もおられますが、農村の方にとっては、「カウンセリング=精神科」というイメージが先立ち、後ろ向きにとらえる方が大半なのです。  「カウンセリング」を受けること、あるいは受けたことで、逆に他の村の方々から、違った意味でのレッテルをはられてしまう怖さから、躊躇されることが予想されます。これは、私が単純にネットで「カウンセリング」のサイトを見ていた時、村の子供自身が「私は、病気なんかじゃない」と呟いていたことからも、今後、容易に想像されることです。  今、各被災地に専門家の方々が巡回されているはずですが、これらの「潜在的な意識」をまず乗り越えることは、かなり大変で、専門家の方々のこれからのご苦労が予想されます。もちろん、村の大人の方たちも「先行きの不透明感」に不安を感じ、これらが最も激しいストレスの種になっていると思われます。  よって、「大人の方々へは、カウンセリングよりも、実際の「復興の具体像」・「タイムスケジュール」などを、早く明確に提示すること」が、最も心のケアにつながるのではないでしょうか。もちろん、今すぐに対処することは、到底、無理とは承知していますが、
「いつ仮設住宅に入れるのか」、「村の復旧作業はいつから本格的にはじまるのか」、「産業の再生に補助はあるのか、また金額的にどれくらいか」といった具体的な見通しが、いつ見えるかだけでも、
心のケアの一助になるのではないかと考えています。  さらに、特にお伝えしたいこと。
山古志村には復興すべき産業が存在しています。それは「錦鯉」です。
錦鯉業者の方たちの落胆振りは、かなりのものといえます。ただ、村の方々が、声高に「自ら助けを呼ばれる」とは考えにくいものがあります。できるだけ早く、最初に「全国の錦鯉愛好家の皆様から」、山古志村の生産業者の方へ手をさしのべていただきたいと私は思います。  この点についても「心のケア」につながり、かつ実際の「復興の発端」になると考えています。 3)まもなく訪れる、雪と冬への対処の不安  今すぐにではなく今後、必要なことは、「雪への対処」です。青森や東北の雪と違い、湿って重い新潟の雪は本当に危険です。小千谷市周辺からの雪堀や雪降ろしは、ボランティアの方といえども経験したことが無い方には、一日も耐えられるような作業ではありません。場合によっては、自衛隊の皆さんが「雪堀のためだけ」に集中される時期が来るかもしれません。それでも、雪によって倒壊する家屋が続出する可能性は高いと思っています。  家屋の修繕費が60万円と聞いています。本当にこれだけなんでしょうか? もし、これが限度なら、せめて建材を安価に提供するなど他の手段が無い限り、とてもじゃないですが、やっていけなくなる家庭が続出する気配を感じます。  いずれにせよ、雪が降り始めた段階で、「様々なことが「予想」から「現実」に変わってくる」と思います。できる限り、雪と冬への対処についても明確な見通しを村の方々に提示していただきたいと思います。 4)最後に  同じ新潟県内の三条市などでは、今年の夏の水害で、まだ仮設住宅に入られたままの方がいらっしゃいます。そして、西日本では台風の被害にあわれた方も多いと聞いています。今、「眼前にある、多くの救援・支援物資を見ると、なんとも後ろめたいというか複雑な思い」がします。  以上が、「現地の方からの生の声をメールにて頂戴したもの」をこのブログの管理人である「小島愛一郎が」、自分なりにまとめたものです。重複しますが、私は報道関係者でもありません。ただ、現地の方からの最大の依頼事項。それは、被災地の様子をお伝えすることではありません。
生まれ育った故郷を失いかけているかもしれない「山古志村」の方々。この文章をご覧いただき、読んでいただいた皆様にとって、何か「山古志村」の方々にできることはないか、考えていただき、可能であれば、提案・実行していただけるための発端になれば
と考えています。 関連カテゴリ:「新潟中越地震