地震、異常気象、気象災害と地球の行方
この画像(NASAに帰属します)は、1979年と2003年の北極地方の雪の状況を示しています。24年間でこれだけの範囲の氷の融解が進んでしまったわけで、海面の上昇が既に始まっていることを示唆しているといっても過言ではないと思います。
この原因が「地球温暖化」にあると様々な学者や機関が報告しています。また、2050年頃には、地球全体の約3分の1の生物が絶滅、悪影響を受けるという予測もなされています。
地球温暖化についての私の考えは、過去のエントリーを参照下さい。
しかし、今回、私は、違った視点で問題提起したいと思います。
1)私なりに思う「今年の気象災害で視野に入っていないこと」とは?
今年は、ご承知のように台風や地震など、大規模な気象災害が発生し、多くの方々が被害を受けられました。そして、今後も被害は、まだまだ収束には遠い道のりがあると思います。私も力不足ながらも、「地震災害」については、何回かこのブログで情報発信してきました。
また、中国南部地方での大かんばつ、米国での大型ハリケーンなど「異常気象」と言われるものが世界各地で発生しています。
しかし、
気象災害で被害を受けたのは人間だけでは無い。生命体・生態系そのものも、人間という生物と同様に被害を受けている。
ということまで考えられている方は、おられるでしょうか?
今、クマが人里まで入り込み、少し社会問題化しています。メディアにとっては、取り上げやすいアクシデントで「異常気象によって餌を探しに来たクマ」にとっては失礼ですが、残念ながら今回の私のエントリーでは「ミクロな視点」に位置付けます。
もちろん毎日の出来事を報道することがメディアの方の使命であり優先順位であることに非難するつもりはありません。ただ、一般の方々の情報ソースは、紙・ネット媒体双方であるメディア関係者の方だけなのです。
今、長雨や台風の影響で、「一部の野菜類」の価格が高騰しています。また米や果物も一部の地域では、台風による海からの塩害で、品質が下がっています。しかし、これらの事象を「経済や消費に与える影響」という視点を中心として報道されており、行政も「経済的損失額」といった形で予測を出しています。
さらに、台風や地震による土砂災害が起こっています。これらについても、「被災者の方の危険・ライフラインの復旧」といった観点からだけで報道されることが過半だと思います。
少し、話がずれました。元に戻ります。
2)気象災害では人間を含め生態系すべてが被害者
今の報道のあり方は当然のことだと思います。人命に関わることであり、台風や地震で命を落とされた方、そして家屋が倒壊された方のことを考えれば、最優先で報道すべきだと思います。
しかし、極論ですが、
野菜も作物も生態系の一部であり、人間と同様に生き物である。土砂災害で住みかを失った生き物がいる。
といったことを少しでも考えている方はおられるでしょうか。
何とも突拍子の無い話だと思われる方もおられるとは思います。
「自分の妻や子供、友人の命」と「花が枯れて命を失うことと」、あるいは「野菜と人間の命を同一視するのか」という観点。
私も人間です。どちらを優先するか、あるいはどちらが悲しいかと問われれば、自分に最も近しい人間との関係を最優先するに決まっています。
「同一視」しなくても良いのかもしれません。ただ、「少しでも視野に入っているか」が重要なのです。
しかし、地球温暖化ではなく、突発的な天災と定義できる「今年の気象災害」によって、人間のみならず他の生き物達も大きなダメージを被ったことに反論される方は無いと思います。
結局、
優先順位は人間が一番で、あとは、個々の人にとって、あるいはメディアにとっても、それぞれ、そして、時期に応じて変化していくもの
なのでしょう。私は、現時点では納得・了承できることです。
しかし、次の世紀を考えた場合、不安・疑問が残ります。
3)気象災害と未来
冒頭で紹介した画像。理由・原因が何かは、今回は議論せず、「事象」だけを見つめてみたいと思います。
この「事象」も気象災害の一つではないでしょうか。北極やアラスカ地域に住む方々を含め、生態系そのものは、既に現実として、被害・影響を少なからず、受けているわけです。
過去にも、様々な自然災害を我々、日本人も受けてきました。よって、歴史というマクロで見れば、今年の日本の異常気象・自然災害は、日本、そして地球の歴史においてはミクロに位置付けることができると思います。
ご理解いただきたいのですが、私は、今年の災害で被害を受けた方、命を落とされた方のお気持ちや今の被災状況をミクロといっているわけではありません。
それは、「将来」あるいは「今までの歴史」という視点で考えればご理解いただけると思います。
経済界では「環境税」関連で、テクノロジーで「地球温暖化防止は可能」という声が発せられています。これは、「将来的・希望的観測」にしか過ぎないと思っています。
同等に比較することは、少しずれるかもしれませんが、今の若者や私自身、いくら政府が言っても、「年金なんてもらえるはずが無い」と、何の期待もしていない方が大半だと思います。
この、
マイナスといえる希望的観測、絶望的観測が、人類を含めすべての地球に存在する生物の未来にある
わけです。
今、地球の将来をあらゆる観点から専門家が予測しています。そして、将来をみすえた技術・研究開発も進んでいます。まさしくマクロ的な行動です。過去ではなく未来に備えて。
(もちろん過去を調べておられる専門家の方々を非難しているわけではありません。)
しかし、これらは未来の「予測」に過ぎません。予測の精度、そして希望的・絶望的予測に関係無く。
4)もっともっと未来を
2004年、私は37歳です。2050年には83歳。人生の終盤を迎える頃でしょう。
私の子供の一人は、2050年には55歳です。彼が55歳の頃には、もしかしたら彼の孫が生まれているかもしれません。
ただ、2050年に生まれた私の子供の孫。その孫が、結婚し、子供を産み、孫を迎えるまで地球が存在するか。
2004年から次の世紀まであと90年余り。
地球の歴史にとって、約100年などは数秒に過ぎないと言っても過言ではありません。
ただ、今の私の子供達が順調に育ち、彼らが子供を産み、そして彼らが孫の顔を見ることができる希望的観測を、今から、私も含め、今、人類として生存している人間は、次の世代へ、様々な角度で伝えていかなければならないのではないでしょうか。
今、私のこのブログを見ているほぼ99%の方は2100年という次世紀を迎えることができないはずです。
しかし、
人類を含め、生態系、生き物すべてが、次の世紀を迎えられるように、そして、可能であれば、明るい、希望的な次の世紀を想像できるように、
何か今からできることはないでしょうか。
今も、世界のどこかで、台風や地震と関係無く、被害を受けている生態系が存在している。
このような視点で、今年の「気象災害」で被害を受けた方々、そして生き物達を位置付けてみると分かっていただけるかもしれません。
今年の「気象災害」が特別ではないのです。
今も、これからも、そしてどこでも、地球に存在する生物は災害に遭遇しているのです。
このように考えていただける方がおられれば、今から何ができるか少しは、見えてくるかと思います。
我々は、「地球温暖化」を抑止する技術など保持していません。
ただ、上述した思い・考えで、毎日、自然と対峙し、事業を進めています。
人間だけでなく、すべての地球に存在する生命に対して、少しでも、失われた心・生命を取り戻し、そして大きな意味での「環境=エンバイロンメント」を改善していくために、「未来に向かって」微力ながら邁進しています。
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