ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

サン・アクト株式会社というベンチャー企業の社長が語ります。

経営、そして人間の基本として

皆様、誰もが知っている「マザーテレサ」。この方が下記のような発言をされました。

「愛の反対は憎しみではない。無関心だ。」

「愛が憎しみに変わった」と良く表現される凶悪犯罪のマスコミの方々の報道。このような発作的な犯罪などが今の現代には多く発生しています。これも少しは、理解できる理由付けかもしれません。

ただ、「無関心」という言葉から、逆に発想すると

何においても無関心な人間は、他人であろうとも友人であろうとも、苦しんでいるとき、喜んでいるときでも、何の行動にも移さない人間であるとみなされる危険性をはらむということ

が言えると思います。

例えば、基本的に無関心な方は、高齢者の方が苦労して階段を上っておられるとき、あるいは車椅子の方が電車に乗ろうとされるとき、何の手助けもされないでしょう。

私も一度だけ、過労で地下鉄の階段を上っているとき、私の姿を見た一人の方だけが「大丈夫ですか」と声をかけていただいた経験があります。大都会の地下鉄ですれ違った大勢の方の中の一人だけです。その場で数百人おられた中で、声をかけていただいた方は一人だけなのです。良く言われる電車内での車内暴力には、「知らぬ顔」とはまったく次元の違う話なのですが。

要するに、何の危険性も無いと思われる私に1%の方しか声をかけていただけなかったいう事実・現状。私が、それこそ死にそうに、苦しそうに階段を上がっているのを見ながら、声をかけて頂いたのは一人だけ・・・

このように、何においても無関心な方は、他人から見ても無関心な人間だと思われてしまい、結局、人間関係というものが成立しなくなってしまいます。

今の日本は、ある一面、そのような方が増えてきているのではないでしょうか。そして、この側面が様々な凶悪犯罪や、信じられない事件が生じている一部にあるのかもしれません。もちろん他にも理由は多く存在すると思いますが。

もう一度、マザーテレサの言葉を考えてみたいと思います。

今もあるかもしれませんが、「数年前に、ホームレスの方を、子供達がグループを組んで、殺害した事件。グループの一体感を個々が感じるために、殺害という手段・アプローチしかなかった」、彼らの現状。

グループの一体感は、毎日会うという物理的一体感だったのでしょう。しかし「精神的一体感を望んだ、あるいは望む前の手段として、自然に、そしてナチュラルなアクションへと動いた結果が、ホームレスの方の殺害。そして、これをきっかけに物理的一体感から精神的一体感へ、彼らは自己満足」したのだと思います。

(つかのまの自己満足でしか過ぎませんでしたが)

本当に悲しい世の中になってしまいました。